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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №25 [文芸美術の森]

第五章 増尾のアトリエで 2

         早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「私にとっては天国だよ」 2

 それからまもなく高島さんに案内されて増尾のアトリエを訪れた。駅から歩いて七、八分、少し高い場所にあった。井戸はすぐ目についた。敷地にあおあおとした野菜畑があったという記憶はのちのものか。アトリエは画室と寝室と台所からなり、間口三間、奥行二間。メートルに直せば五・四メートルと三・六メートルの驚くほどせまい小屋だが、ふしぎにせまいという感じはなかった。
 入り口の戸は複雑な仕掛けがあって、本人でないと開かない仕組みになっている。それを説明しながら画家は嬉しそうに笑った。なにかにつけて研究心がつよく、創意工夫があり、本人は科学そのものを強く否定していたが、頭脳のほうが自在に工夫をめぐらした。
のちに伊藤武さんが農薬を散布していると、薬品の種類の善し悪しを画家から指摘されて「並みの人ではない」と思ったそうだ。高島さんは自分のことを話す人ではなかったので、「画家さん」の正体を知る者はいない。土地を貸した地主は野十郎のことを「乞食画家」と呼んでいたが、「いい絵を措く」と知って、一枚分けてもらえまいかと伊藤さんに頼んだが、画家は土地の代価は十分に払っているとして断ったという。
 水道はもちろん電気の配線もなかったので、代わりにランプが使用されていた。これも都市生活者の思いつかぬことで、それが高島さんの説明にさらなる楽しみをあたえているらしかった。しかし画家の少年時代はまだ蝋燭、行燈、ランプの時代だったので、むしろ身近な用具として郷愁を感じていたかもしれない。「これも私が造ったんだ」という、手製の椅子に私は腰かけた。すわり心地はきわめてよかった。
 ベッドは藁を芯にして布でくるんだもので、これも手製だと遣り方を説明した。とにかくなにもかも自分で考案したもので、屋内ぜんたいに空間を複雑に仕切る避暑地の別荘のような雰囲気があった。
 ついでにガスもなかったので、七輪の炭火を団扇であおぎ湯を沸かした。「ここは且然に囲まれ、人ひとり通らず、静かな所で、私にとっては天国だよ」と高島さんは上機嫌だった。ここにこぎ着けるまでいっしょに土地を探したり、建築の苦労話を聞いたりしていた私には、さもありなんと思われた。
 「私の絵はお百姓に買ってもらえればいいのです」というのが森林や田畑のど真ん中に小屋を建て、自分で鍬をふるう画家の信念だった。
 画家は伊藤武さんが所有する隣地の田圃の隅を借りて池をつくり、ザリガニや鯉の稚魚を放ち、睡蓮の花を咲かせた。これを画題にした作品に《睡蓮》がある。このアトリエが柊の棲家になっていたとすれば、睡蓮の絵が《蝋燭》以上にたくさん措かれて私たちの目を楽しませてくれるはずだった。
一連の《月》と、《蝋燭》の一部がまもなくここで措かれることになる。とくに闇のなかの月だけを措いた《月》は野十郎の画業の終着点といえるだろう。

川崎月.jpg
川崎蝋燭.jpg
蝋燭

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』求龍社

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