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渾斎随筆 №54 [文芸美術の森]

近代美術展(文部省所存) 1

                 歌人  会津八一  

 よく日本は美術國だといふ。初めは外国人の方からいひ出したものらしいが、今では、日本人がみんなそんな気特でゐる。大變にいい名をつけて貰ったものだが、外国人がいふのは、日本には昔はたくさんいい美術が出来たといふことなので、今の日本人が美術的に見てほかより優秀だといってゐるのではない。これは、ギリシャやイタリーを同じやうに美術國だといっても、今のギリシャ人やイタリー人を褒めてゐるのでないのと同じことだ。今のギリシャやイタリーが、美術國として世界の水準より上にあるとはいはれない。日本もそんなところであらう。ことに日本人は、いつの時代でも、とかく外囲の崇拝をして、何事も模倣ばかりしてゐるが、たまたま誰かに褒められでもすると、すぐ増長でもするのか、世界第一とか古今無比とか遥かに大きく出たがる傾向があって、それがけたを外づすと、こんどのやうに取り返しのつかない破目に落ちて、手も足も出ないほど悲観をする。
 一たい美術國だといはれても、褒められたのは先鋭の作ったものだけだとすれば、今の吾々は不肖の子孫だといふことになるから、自慢どころの段ではない筈だ。いつも身に省みて、自分の柄や力をよく自覚して、熱心に努力してこそ、いつの日か自分等も美術國民の名誉を擔へるやうになれるかも知れない。先組の手柄や遺産だけを自分の自慢にして、無自覚で怠けてゐては、堕落の一路があるだけだ。だから人から美術國だなどといはれるごとに眞劒に反省してみるべきだ。
 ことにこの新潟地方は、昔から書芸骨董が流行して、地主とか金持とかいはれるほどの家では、争って軸物や道具類を買ひ集めて、それで威儀を整へたり自慢にもした。しかし金があるにまかせて買ひためたといふだけでは、ただ財産の形を變へただけで、それだけで美術的の性情が他の地方より護達してゐたとはいはれない。ことに、れいれいとした贋物などを床の間へかけて自慢の鼻を高くしてゐたところで、趣味の缺乏を證明してゐるやうなもので、恥さらしになるだけだ。
 日本は今ではのつぴきならぬ窮境に国が落ち込んでゐるのだから、名實の伴はない自己陶酔や、贋物の自慢噺などに、大切な月日を送るわけにはいかない。せめてこんな機會を利用して、文化生活のあらゆる方面にしんけんな反省をして正常な自覚を得て、これから発足して、ほんとに強い決心をもとにして更生の道程に向はなければならない。さうしてこそ、上塗だけでなく、ほんとに木地からの美術國になれるかもしれない。是非さういふことにしたいものだ。(この項つづく)   『夕刊ニイガタ』昭和二十四年七月二十日


『会津八一全集』 中央公論社

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