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いつか空が晴れる №77 [雑木林の四季]

   いつか空が晴れる
       -ドビュッシーのバラード―
                   澁澤京子

下の息子は、ごく小さいときからデパートに連れて行くと宝飾売り場のガラスケースに張りついていつまでも宝石を眺めているので、引き離すのが大変だった。
私も宝石は好きではあっても、基本的にこちらの購買能力を超えた値段がついているものは、素通りすることが多い。小さい子供にとってみたらそんなことは全く関係なく、ただキラキラと光る宝石の神秘に見惚れていたのだ。
息子があまりに熱心にショーケースにかじりついて見ているので、スワロフスキーの売り場の店員の女の子からパイナップル型のスワロフスキーをプレゼントされたこともあった。
息子の学習机の引き出しをあけると、道端で拾ってきた石ころのコレクションがずっしりとつまっていた。何の変哲もない汚い石でも、息子にとってはデパートの宝石と同じくらい、美しい石だったのだろう。

洋の東西問わず、宝石から中国の奇岩まで、石を偏愛する人は多い。
『紅楼夢』の一族の栄枯盛衰の物語の中の、宿命の恋人である宝玉・黛玉の二人は、もとは二つに割れた石の片割れ同志であるという話だったと思う。中国では翡翠はカップルの絆の石といわれているようだから、もしかしたらその石は翡翠だったのかもしれない。

石には凝縮された自然の風景が閉じ込められている。
朝の太陽の輝きのように眩しいダイアモンド、南の島の明るい空を閉じ込めたようなラリマー、夜空の青のラピスラズリ、深い海のサファイア、抜けるような青空の色のターコイズ、サンゴ礁の海のような色のエメラルド、夏の太陽のようなヘリオドール、秋の空のように透明なアクアマリン、追憶のようなウィスキー色の琥珀・・
石は沈黙したまま夢を見ているのだ。

   覆された宝石のやうな朝
     何人か戸口にて誰かとささやく
     それは神の生誕の日
                  西脇順三郎

 ギリシャの、地中海の抜けるような青空と、陽光を連想させるような、西脇順三郎の詩に出会ったのは、確か高校の国語の教科書だった。
この短い詩を見るたびに、身体の底から歓びみたいなものがわいてくるような感じがするし、小さい子供が宝石の輝きに見惚れるのも、この詩を読んだときの歓びと同じ種類のものなのだと思う。

昔、まるで夕焼けが閉じ込められたような石を衝動買いしたことがあった。カンテラオパールという石で、ちょうど、気分が落ち込んで黄昏ていたような時期で(ついでにお財布の中身も黄昏ていた頃なので、安かったと思う)、この石のブレスレットは長い間、私の腕に付けられていて、いつもその夕焼けの輝きで私を慰めてくれた。
友人からフランスのお土産で貰った、星空のような濃紺のラピスラズリのビーズのブレスレットをとても気に入っていたけど、ある日、出かけようとしたら玄関で、パチン!と大きな音をさせて、いきなりはじけで夜空の色のビーズが飛び散ってしまったこともあった。
厄払いと思えばいいじゃないの、とプレゼントしてくれた友人は慰めてくれたけど。
古代から、宝石には呪術的な魔力が宿っていると考えられたり、護符とされていたのもわからなくはない。宝石と黄金を巡っては、南米インディオの大虐殺のような数々の悲劇が生まれたけど、人間の貪欲や虚栄の対象にならない限り、宝石や黄金の輝きは、自然の持つ美しさとあまり変わらない。キラキラとひたすら輝いている宝石や黄金に一体何の意味があるというのだろう?意味なんかないから、美しいのではないだろうか。

ヨハネの黙示録には、サファイアやエメラルドなどの宝石でできた城門や街が出てくるし、法華経では、金や瑠璃などの宝珠は、仏性のシンボルとしてふんだんに出てくる。
この間、宝石鑑定士の資格を持つIさんと一緒に上野で食事した。息子の事でいろいろと親切にお世話になったのだ。久しぶりに会ったので、おしゃべりがはずむ。彫金というのは、すごく忍耐力のいる力仕事なんだそうである。
「苦労は人を洗練させるっていう意味のことわざがあるのよ、イタリアのことわざだったと思うわ・・」

デパートの宝飾売り場のガラスケースに張りついて離れなかった息子は、今は彫金の勉強をしている。そして、彼はいつも自分が相手にしている石や貴金属と同じくらい、寡黙な職人気質の青年になった。

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