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梟翁夜話 №57 [雑木林の四季]

「釣りとツイッター」

                翻訳家  島村泰治

私は釣りが好きだ。小川の鮒釣りから磯の五目釣りまで、竿に凝ったり餌をあれこれ吟味しながら魚たちと触れ合ってきた。城ヶ島などはいっとき通いつめて、念仏鯛たちの襲撃を嘆きながら結構な収穫を楽しんだものだ。

いま桶川と云ふ奥まった陸地に住み着いて、竿すらも出せぬ釣り環境に収まってゐれば、釣りと云ふ優雅なパスタイムが沁みじみと懐かしい。

そんな折から、昨日今日、わが釣り心を癒す手立てが見つかってほくそ笑んでゐる。魚がゐるわけじゃなく、がまかつの竿はなくとも様になる釣りをみつけたのである。それが何と、ツイッターと云ふ超今風な世界だから、人によっては目をひそめるかも知れないのだが、私としてはこれがまたとない釣り場に見えてきたのである。

釣りとツイッターとは意想外な取り合わせだが、案に相違してこれがどんぴしゃだから面白い。140字の文字制限が竿丈、思ひ付くテーマが餌で投稿する時が朝夕のまずめ(後述)となれば、釣りを多少でも嗜まれた仁ならばははぁと相槌も打たれやうと云ふものだ。

吾輩がツイッターなる世界に首を突っ込んだのは昨年の九月、ランサーの企画で斯界最高齢と云ふ触れ込みでモルモットに狩り出された折のことだ。この歳でソシアルネットワークの書き手は稀、ならば生涯現役のタッグで旗振りをしてくれろとの依頼だ。きわもの好きの吾輩は一も二もなく請け合って始めたのがこのツイッターと云ふ媒体だ。

ツイートとは鳥のさえずり、日本語ではこれを呟きと意訳されて今や巷の話題だ。トランプなどは気さくな言葉遣いで云ひたい放題、11月の大統領選挙がアイオワからニューハンプシャーへと初戦の目玉、そうでなくても口の悪いトランプはツイートを使ひ回して舌戦将に酣(たけなわ)だ。公的であるやうなないやうな、摩訶不思議な語り場、トランプはこのツイッターを世論操作のメディアムに使ってゐるらしい。

そんなトランプの言葉遊びを見て、吾輩はツイッターなる電子掲示板ににわかに興味が沸いたのである。あれ以来「最高齢フリーランス」のタグでツイッター入り、年寄りめいた書きっぷりで冷や水を掛けてゐるのだが、これが結構面白いのだ。140字という文字制限をいいことに文を練る味わいが乙で、ぴりっと辛口のコメントなどが得手だ。

「見回すところ八十路の同輩は影もゐない。それでなくとも人恋しい老境、眺めれば通りすがりの群衆は目配せもせず、声掛けなどとてもとてもの風情で足早にあらぬ方向へ脚を早める。

ツイッターの世界、音を消して傍観する。おお、これはエンドレスの無声映画。台本なしのネット版「人の一生」が上映中。」

などは「いいね」がいくつもつき、「コメント」すらもらった。昨日今日のコロナ騒ぎで横浜の港に繋がっているクルーズ船に掛けて、

「年寄りの冷や水を承知で知恵を一片。横浜のクルーズ船に注目が集まってゐるが、ここでひとつ気がつくことがある。

どうだろう、このコロナ対策に「病院船」を一隻仕立ててロジスティックに適した港に浮かべたらどうか?

いや、なにも一隻とは限らず、複数隻浮かべて収束まで海上で集中対処しては?」

とひと言。とっさの思いつきが意外に反応を呼ぶことに、ツイッターなる仕組みが頻りに面白くなってきた。

巷の出来事をネタにひと言呟く、それが年寄りの呟きだから捻りが効いてゐる。それに有象無象が反応する・・・。そんな経緯にふと釣りの醍醐味を見て小膝を叩いた。そうだ、ツイッターは釣り場さながらだ。一四〇字の餌で何匹、どんな魚が釣れるか。文句の組み合わせ、いや餌の付け方で「あたり」が違う。「まずめ」(日の出・日の入りの前後。釣りにもっともよい時間。「朝まずめ」「夕まずめ」)を狙へば釣果、いや反応が多い。

ツイッターは使いやうによっては此方の考えを無造作に試す格好な手立てになる。そう気づいてこのツイッターなるメディアムの只ならぬ機能を見直してゐる。トランプの言葉遣いの妙が見えてきた。間もなく八五歳になる老爺にして、これは思いもかけぬ冥利だ。今66人ゐるフォロワーが、さて何処まで増えるか、ここは腕の見せ所だ。お代は見てのお帰りである。


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