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いつか空が晴れる №75 [雑木林の四季]

    いつか空が晴れる
         ―Real?―
                 澁澤京子

  まだ幼稚園に通っていた頃。4つ年上の兄が「ニワトリが先か?卵が先か?」というなぞなぞを私に出した。正解したら、私がとても欲しがっていたおもちゃをくれるというので、私は頭を抱えて必死になって考えた。どうも卵が最初のようだが,しかしニワトリがいないと卵を産めない・・・さんざん考えた?あげく「卵!」と答えると、「ブッブー、残念でした。正解は(わからない)だよ。」と兄にからかわれて、私は泣いて悔しがった。
卵の前にはニワトリがいてそれは卵から生まれたのであって・・・と延々とさかのぼることができる。はじめて漠然と無限について考えたのはこの時だったと思う。

妹がまだ赤ん坊で6歳違いの私は小学校の低学年だった。ある日、ぼんやり台所の棚を見ていると、妹用の森永の赤いミルク缶があった。缶には女の子の絵が描いてあって、女の子は自分の絵の描いてある同じ赤い缶を持っている・・女の子は無限にいると気が付いたとき、私はかなり興奮した。無限を目撃している私・・・・もしかしたら神様は無限、時間の始まりをこんな風に見ているのじゃないか?しかも、無限は平面の絵の中にあるのだ・・

森永のミルク缶にいきなり無限が出現してしまうように、ゼノンの(飛ぶ矢は飛ばない)のパラドックスというのがある。確か、1分、1秒の間も分割されると無限の点が存在するので飛ぶ矢は止まっているというものだ。
たった数分なのに、夢では長い時間に感じるというのを読んだことがある。そうすると無限も時間も意識の中にしか存在できないものになるではないの。
宇宙の中で有限の時間を生きている人間の意識には無限が存在して、それこそ森永のミルク缶のように入れ子構造のようになっているのだろうか。
今こうしているたった一秒の瞬間にも、無限の点があるという不思議。

アヴェマリアの祈りに「・・・・神の母聖マリア、罪深い私たちのために、今も死を迎えるときもお祈りください。」というのがある。
「実在するのは、今と死を迎えるときだけなのですよ。」とキャサリンさんに言われたことがあった。過去も未来も頭の中にしか存在しない、夢のようなものなのだ。
私たちは今のこの瞬間、瞬間しか生きられないのだから、時間はない。この瞬間に過去と未来を含んだ全体、つまり無限がある。だから、さまざまなひとが言っているように、「永遠の現在(いま)」ということもわかる気がする。
リアルなのは今、この瞬間の「永遠の現在」だけなのだ。

雅(miyavi)というロックギタリストの曲に「Real?」というのがある。こんなワイルドな若者がいたのね、と私は雅のファン。ネットやスマホの仮想世界のコミュニケーションなんか空しいだけ、グルーヴに任せた、今この瞬間がリアルだぜ!といった感じの曲。
それでは、ゼノンの『飛ぶ矢』の場合は、何がリアルなのだろうか?

・・パルメニデスはあると思われているものの何物も世界にあらぬという。エレアのゼノンはそういった観点すら捨てることによって、一切の面倒を取り去った。彼は何者もあらぬという。・・パルメニデスを信ずれば、一者以外は何も存在しない。ゼノンを信ずればその一者すらも存在しない。(セネカ書簡集の引用)『ギリシャ哲学30講~人類の最初の思索から』p279~日下部吉信著

ゼノンは一者の存在、「永遠の現在」の実在も否定した。つまり、飛んでいる矢が連続しているように見えることが錯覚になるので、「永遠の現在」から見るとグルーヴに任せる運動は仮像にすぎず、グルーヴに任せる運動から見ると「永遠の現在」もまた仮像にすぎない・・リアルはどこにもないのだ。
矢の止まった静止した点の瞬間と瞬間の間に連続性はないと主張するゼノンの考え方。確かに点はいくら連なっても線にはならず、点でしかない・・
とすると、私たちはとても奇妙な夢の中に生きていることになる。
そして、ゼノンにとってのリアルは否定することで、世界には確かなものは何もないということが彼にとっての唯一のリアルだったんじゃないだろうか。

ちなみに『ギリシャ哲学30講』日下部吉信著は、久しぶりに興奮して読みふけった本で、特に上巻のプラトン以前の哲学者の話、ゼノンやヘラクレイトスなど哲学に命かけた哲学者たちの逸話がめちゃくちゃ面白い。
ゼノンは悪政に対して義憤にかられ、僭主を暗殺しようとしてとらえられ拷問された。それでは告白してやろう、というゼノンの言葉につられてゼノンの近くに寄ってきた僭主の耳を食いちぎり、自分の舌を噛み切って僭主に吐きかけて死んだ。あっぱれというしかない。ゼノンの勇敢さは後の時代にはキリスト殉教者のお手本となったらしい・・
ゼノンはおそらく、生と死を夢のようなものとして軽視したのではなく、その逆にとても重要視していたのだ・・確かなものは何もない、だからこそ個人のせせこましい枠にはまらず、個人を超えたもっとダイナミックでスケールの大きなものに向かって、世界の謎に体当たりして生を燃焼させたのだ。

世界は青空のように爽快で、青空のように哀しい。


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