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梟翁夜話 №55 [雑木林の四季]

「台湾三題噺」
 
                         翻訳家  島村泰治

一、白身の魚

焼いたり揚げたりの肉魚に辟易してゐたところに登場した蒸し魚、淡泊な白味が食い気を誘ふ。これは何と云ふ魚か、形は鯉だが尾が違う。鯉なら鯉こく、蒸すことはあるまい。箸をつけてにんまり、思いのほか美味いではないか。鱸(すずき)では、と辺りにひと声、さもありなんと納得。

この魚と蒸したキャベツに救はれて、意外や意外、このたびは台湾料理を見直すことになった。

4年ぶり5度目の台湾は、飯で明け飯で暮れた。折からこの国の幸先を決める選挙の帰趨を目撃せんとの企画に乗っての旅、どう取り計らったか矢鱈に食はされた。肉は鳥か豚、煮たり焼いたりの万華鏡、味は薄めで江戸っ子の舌には物足りないが、それは出汁で賄ふ台湾料理だ。鶏ガラか鯛のカシラか、やり過ぎと思はれるほどの濃い出汁が売りだ。だから、スープ類は見事、これも台湾料理を見直した理由のひとつだ。

そもそも台湾の食い物への苦手感は、何年か前の旅でたまたま食った弁当を原点に定着してゐた。キャベツ(だったか)に絡んだ油のニオイが鮮烈で、その後は台湾の食い物に食指が動くことはなかった。

このたびは、そのニオイが不思議や気にならない。蒸しキャベツにも何やらオイリー感があったがあのニオイはないから、出る都度これを食い漁った。台湾のキャベツは美味い。蒸されてくるから突っ張り感がなく、わが菜園のものとどちらかと云ふほど味がいい。

それに例の白身の魚に出会って、台湾料理へのこだわりは消えた。旅は食い物に恵まれてなんぼである。次の台湾はいつのことか、それでも台湾料理に身構えることは、もうなからう。

二、論じる勿れ

英語にしろ日本語にしろ、私は言葉に煩(うるさ)い。台湾は漢字の国だから、あちらこちらに出会う漢字の語感がなんとも愉しい。駅で見かける「月台」がプラットホームだとは先刻承知してゐたが、ドアの開け閉めに「小心挟手」(挟に手偏がない)とある。挟手は手を挟む、前後から小心とはどうやら「気を付けろ」の意か。粋な言ひ回しだ。

その小心だが、日本語なら小心者は気の弱い人間、びくびくした語感が取り柄だがここでは「気をつけろ」、いや語感の違いがなんとも面白い。この小心と云ふ言葉はあちこちで見掛けた。

面白いと云へば、「請」と「勿」、とくに勿(なかれ)だ。請はpleaseかrequestか、頼み事の常套語らしい。漢語は語順が英語に近いことから、勿がnotに等しいと分かれば結構筋が通る。勿と云へば「勿論」は「論じる勿れ」即「あたりまえ」、日本語の素性がばれる。まして奥の細道の勿来の関(なこそのせき)など面白さが極まる。来てはいけないところだぞよと云ふ語感は関所の意味合ひを捏ね合わせて、極上の味わひがある。勿忘草なども、改めて漢字が語り掛ける風情がいい。じっと見てゐると言葉がいきいきとしてくるから不思議だ。

三、蔡英文の飛び六方

親日といわれる台湾で、ここ一番、香港からの風に乗って民主政権を定着できるか否かの総統選挙が、見事、蔡英文が地滑りの勝利を飾って幕を降ろした。800万票を越える歴史的な壮挙だ。小英が大英に見えた。歌舞伎なら花道で六方を踏む蔡英文の姿、あたかも飛ぶが如くだった。

学者肌の小英は、その愛称をそのまま人前に晒すのが良くも悪しくも個性か、それが兎角政治の場で彼女の脚を引っ張る。目線が下がるなどもその類だ。

その蔡英文が、このたびの選挙戦で鮮やかに殻を脱いだ。傍らに副総統候補、頼清徳を従へ、両手を振って訴へかける蔡英文にもはや小英の影はなく、自信溢れる大英がゐた。世紀の大勝利、祝着至極である。

さて、こうなれば歩む道はただひとつ、関係法から旅行法まで定めて台湾に入れ込むトランプの威を借りて、いまこそ日本は蔡英文の台湾を抱き取るべきだ。支那がひとつか否かなどおよそ埒外、安倍晋三氏が日本外交に燦たる足跡を残したいなら、いまこそが正念場だ。好漢安倍晋三、以て瞑せよ。



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