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コーセーだから №55 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」  16

                (株)コーセーOB  北原 保

兄弟で信用つくる/責任感強く仕事熱心

孝三郎社長の横顔

 小林孝三郎氏は、結婚した大正13年、東洋堂販売部員で月給63円、その年の7月に68円になり、昭和3年には130円で販売部の東の責任者。4年に135円。5年140円と毎年5円ずつ昇給して営業部長になり、昭和16年の200円がサラリーマン時代の最高の月給ということになる。が、月給はさておき、大正の終わりから昭和のはじめの時代の孝三郎社長の横顔を、弟の小林聰三専務から話してもらうと――。
 大震災で東京は一変した。左翼運動が盛んになり、軍の力が台頭して治安維持法が公布された。皮肉にも巷では女性の流行は「みみかくし」やヘアーネットが一世を風びした。そのころ、ぜい沢品10割課税問題が持ちあがり、化粧品もぜいたく品と見られて業界は政財界上げて反対運動を始めていた。
 「不景気なころですけど、東洋堂といのは高橋志摩五郎前社長の堅実経営方針がよくゆきとどいていて、びくともしなかったですよ。オンリー化粧品にいた私は、お得意先が北海道や両毛地方でアイデアルと競合していましたね。安いオンリーのほうが人気が集まったけど、資本力のない悲しさ、乱売に追いこまれ、昭和4年に徴兵から帰ったとき、オンリー化粧品はつぶれていましたよ」
 そこで聰三氏は、兄孝三郎の口ききでアイデアル商事に入社することになった。兄弟が一つの会社でシノギをけずることになったのである。
 当時、兄孝三郎は東部地方の営業部長で一県一代理店という「アイデアルチェーン・システム」を管理していた。聰三氏はもっぱら西部地方の小売店のセールス担当だった。
 「アイデアルでは小林兄弟は仲がいいという評判がたっていた。田舎(茨城県岩井)の醤油業の長兄はたえず上京して相談にきていたし、仕事熱心な孝三郎兄はひら社員より多く出張していましたしね。だからよく兄の留守宅に遊びに行きましたよ」
 こんなことがあった――兄孝三郎夫婦は東五軒町(新宿区)の新婚生活から、高円寺に一軒の家を借りて住むようになった。なにせ、高円寺はいまとちがって「高円寺村」といわれたころ、畑の中にぽつんとある一軒家はさびしいものだった。それから若松町(新宿区)に移ったりして転転と居を変え、出張中に妻のきんさんは子どもたちをつれて引っ越ししたこともあるそうだ。
 小林孝三郎営業部長が九州に出張しているときのことだった。その留守の間に三男の省三が「エキリ」にかかって死亡した。出張先に死んだ知らせの電報が届き、孝三郎は悲しみと驚きで、しばらく祈っていたが、「骨にして待て」という電報をうって出張が終わるまでついに帰ってこなかった。
 帰路、孝三郎は、そのころ岡山営業所長をしていた弟のところに立ち寄った。弟は、兄がさぞかし力を落としていると思ったが、意外の元気さに、ちょっと戸惑いを感じながら、おくやみを言葉にすると、それまで懸命にガマンしていたのか、さっと二階にあがって肩をふるわせるほど泣いたという。
 「仕事熱心というか、責任感というのか、兄はたいした人です。また、留守を守った義姉の〝内助〟をおいては、いまのコーセー社長はなかったかもしれません。義姉はじっとこらえて兄の仕事を理解しようとつとめていましたからね。あの日のことは兄も忘れられないでしょう」東洋堂の高橋三四郎社長が、小林孝三郎営業部長を信頼していたのも無理はない。
 「私は兄ほど凝性じゃない。どちらかというとあっさり型の方です。アイデアル時代は私がアイデアル商事の責任者、兄は東洋堂の責任者で机を並べていたんですから、いま、なんとなく社長だの専務だのといって別れているとさびしいですね」
 事実、小林コーセーは、小林孝三郎と小林聰三専務の名コンビが、大きな信用をつくりあげたのだともいえる。
                                        (日本工業新聞 昭和44年10月25 日付)



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アイデアル時代から一緒だった弟の小林聰三とはコーセー創業に当たっては力を合わせて働いた(左が小林聰三専務 右が小林孝三郎社長 1949年)


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1969年の小林孝三郎社長と小林聰三専務(小林専務は1969年に副社長になる)


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1940年6月 三男省三の死を出張先の熊本で知り、仕事途中ですぐには帰れない状況から苦渋の決断で「コツニシテ マテ」という電報を送った心境をしたためた きん夫人宛の手紙(一部)

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