論語 №80 [心の小径]
ニ五六 子のたまわく、回やわれを助くる者にあらざるなり。わが言において説(よろこ)ばざる所なし。
法学者 穂積重遠
「助」は「益」である。古証に「われを肋くと、子夏のわれを起す(四八)がごとし。疑問に因りて以て相長ずるあるなり。」とある。
孔子様がおっしゃるよう、「顔回(がんかい)は質問によってわしを啓発してはくれない。何分にもわしの言うことをたちどころに理解して喜んでしまうものだから。」
いわゆる顔回が「終日違わず愚なるが如」きを言われたのであって、「困ったものじゃ」というように聞えて実は「大したものじゃ」とほめられたのである。質問で「助くる者」ではなかったが、実行では孔子様も啓発されたのであって、すなわち「亦(また)以て発するに足る。回や愚ならず。」であった(二五)。
二五七 子のたまわく、孝なるかな閔子騫(びんしけん)、人その父母昆弟(こんてい)の言を間(かん)せず。
閔子騫が二十四孝の一人であることは前に言ったが、『孝子伝』にいわく。「閔子騫親に事(つか)えて孝なり。後母二子を生む。これに絮(じょ・綿入)を衣せ、騫に衣(き)するに蘆花を以てす。父察知し、後母を出ださんと欲す。騫、父に告げていわく、母在(いま))さば一子寒)こご)ゆ、母去らば三子寒えんと。父遂に出ださず。その母も変化して慈と為(な)る。」「昆」は兄。「間」は非難異論。
孔子様がおっしゃるよう、「孝行なことかな、閔子騫は。父母兄弟が彼をほめても、
人が親ばか身びいきだと言わぬ。」
人が親ばか身びいきだと言わぬ。」
「人その父母昆弟を間するの言なし」とよんで、他人がその父母兄弟の悪口を言わぬ、と解する人もあるが、文法上無理なようだ。
二五八 南容(なんよう~、白圭(はっけい)を三復す。孔子その兄の子を以てこれに妻(めあ)わす。
「白圭」は『詩経』(大雅抑篇)の詩。「自圭(白玉)のカ(王+占)けたるは尚磨くべし。斯の言のカけたるは為(おさ)むべからず。」
南容は、『詩経』を読んで白圭の詩のところにくると、何度もくり返して打ち誦(しょう)じた。かように言葉を慎む男ならばまちがいなかろうというので、兄の娘を嫁にやられた。
孔子様が南容に姪をやった話は前にも出ている(九三)。その場合に「廃(す)てられず」「刑戮(けいりく)を免る」とあるのも、南谷が慎み深いからである。
二五九 季康子(きこうし)問う、弟子(ていし)郭(たれ)か学を好むと為す。孔子対(こた)えていわく、顔回なる者あり、学を好めり、不幸短命にして死せり、令やすなわち亡し。
哀公(あいこう)が同じく問い孔子様が同じく答えたことが前に出ているが(一二一)、前の場合の方が詳しい。重複ではない。哀公と季康子とがそれぞれ別に問うたのである。
季康子が「門人中だれが学問が好きですか。」とたずねた。孔子様が答えられるよう、
「顔回という者があって、学問好きでありましたが、不幸にも短命でなくなり、今はもうおりません。」
「顔回という者があって、学問好きでありましたが、不幸にも短命でなくなり、今はもうおりません。」
2019-08-25 21:55
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