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私の中の一期一会 №195 [雑木林の四季]

      全英女子オープンに初出場で優勝した“スマイル・シンデレラ渋野日向子”
      ~「プレーオフしたくないから、ワザと3パットします」と言う新人類~

              アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 初めて出場した海外メジャーの全英女子オープンで、日本人として42年ぶりに優勝したプロゴルファー渋野日向子(20)が、一躍“時の人”になった。
 渋野日向子は、去年のプロテストに合格して,この19年シーズンはツアールーキーだが、早くも5月のワールドレディース・サロンパス杯(国内メジャー大会)で初優勝して頭角を表わしていた。
 国内で2勝、賞金ランク2位というルーキーらしからぬ成果を引っ提げて、初めて海外の試合に出たのが全英女子オープンという大舞台だったのである。
 海外では全く無名だから、“ヒナコ・シブノ”なんて誰も知らない。
 だが、そのヒナコ・シブノが初日に7バーディ、1ボギーの6アンダー66でホールアウトして、リーダーボードの上位に駆け上がったから海外のファンは驚いたのだ。
 渋野日向子は「10番で長いパットが入って勢いに乗れた」と振り返ったが、「正直ビックリ、何だか気持ち悪い」と笑ったという。
新聞記事でその発言を目にした私は、“この子は全く物怖じしない子なのかも知れないな”と関心を抱いた。
 海外メジャーが初体験というのに、一日中笑顔を絶やさず、TVカメラを向けられても気にすることなく駄菓子を口にするなんて、プレッシャーでしびれていたら出来ることではない。
 試合中にもギャラリーとハイタッチしてニコニコ。手袋やボールにサインして気易くプレゼンしてニコニコ。小さい子の頭をなでてニコニコ・・・
 その天真爛漫なキャラクターには、“初メジャーのプレッシャー”など、あまり関係ないように見えた。
 キャディとしてバッグを担いだ青木翔コーチ(36)は「特に作戦もありませんでした。経験を積んで欲しかったので、ありのままのゴルフで大舞台にぶつかって欲しかった。よそ行きのゴルフにならなくて良かったと思っています」と4日間を振りかえって語っている。
 予選ラウンドは優勝を狙える好位置につけていたが、最終目標は“来年の出場権がとれる15以内”と控え目であった。
 渋野日向子自身も「全てが経験、欲張らずに攻めのゴルフで、いいプレーを見せたい」としか話さなかった。
 18年のオフにタイ合宿には行ったが、海外経験はそれだけで試合の経験はなかった。
 試合に勝つことを求められて育つ選手が多いスポーツ界で、経験を積むため、無欲でありのままのゴルフを求める青木翔コーチは、次世代型の名伯楽かも知れない。
 笑顔を振りまきながら伸び伸びとプレーする渋野日向子は、2日目には海外メディアから「スマイル・シンデレラ」と名付けられ高感度の注目を集めるようになっていた。
“予選通過できればいいかな・・”と気軽だったせいか、3日目までは余り緊張はしなかったらしい。
 2位でスタートした3日目はさすがに少し緊張していたようだった。
 前半は1バーディ2ボギーとオーバーパーのゴルフで、スマイルも少なかった。、
 9番で3パットのボギーを叩いた時、流れが悪いと思ったのか、10番横の茶店に駆け込んでいる。
 ホールアウト後、「3パットのボギーが一番嫌いで“ブチッと切れた”」と白状していたが、結果的にここで間を取ったのが良かったらしく,直後にバーディが来て、終盤のバーディラッシュにつながった。
  ミスを引きずらず、すぐ気持ちを切り替えることが出来るのが渋野日向子の強みだと言えよう。
 気持ちの切り替えが速いのは、プレーにも表れている。
 彼女のプレーはペースが速い、決めたら迷いなくすぐ打つから見ていて気持ちがいい。
 スマイル・シンデレラは、3日目を終え14アンダーで2位に2打差の単独トップに立ち、最終日を迎えることになったのである。
 日本女子は樋口久子以来、何度も海外メジャーに跳ね返されてきた歴史がある。
 アメリカツアーで賞金女王になったこともある岡本綾子は、87年の全米女子オープンでプレーオフまでいきながら敗れて2位だった。
 日本で6度も賞金女王になった不動裕理も、08年の全英女子オープンで3日目まで首位だったのに、最終日に伸ばせず3位に終わった。
 宮里藍はツアールーキーだった06年、全米女子プロで最終ラウンドをトップでスタートしたが3位でのフィニッシュだった。
 12年の全米女子プロで宮里美香が惜しくも2位、昨年の全米女子プロでは畑岡奈沙がプレーオフで敗れ勝てなかった。
 手が届きそうでなかなか届かないのが、海外メジャーのタイトルであった。
 77年の全米プロで優勝した樋口久子以来42年振りの快挙成るか?・・日本では“期待で大騒ぎ”になっていた。
「明日は緊張すると思いますが、最後まで攻めて頑張れば優勝できるかもしれない。欲張らず・・攻めるのに欲張らずはおかしいですが((笑))でもしっかり攻めていきたいと思います」と語り、優勝なんて考なかったので「緊張しなかった」と答えている。
 最終日のスマイル・シンデレラは、65と猛追してきたリゼット・サラス(米)と17番を終わって17アンダーで並んでいた。
 渋野日向子は18番の2打地点でグリーンが空くのを待ちながら駄菓子を口に入れる(余裕?)があったのだろうか。
 「プレーオフはしたくないから、ロングパットになったら、ワザと3パットします」と青木コーチに言ったというから驚く。
 解説の樋口久子が“新人類だ”と言っていたが、確かに昭和世代には理解できないメンタルの持ち主だと私も思った。
 18番の6メートルのバーディパットは,カップの壁に当って小さくハネてカップに消えた。
 勝った瞬間「ちょっと泣きそうだったが、涙は出てこなかった」と渋野は笑った。
“スマイル”で世界中から注目を浴びた渋野日向子は42年振りに快挙を成し遂げ、スマイルだけではなく実力の持ち主であることも証明した。
「シブコ・フィーバー」・・・
 私が今一番気になっているのは、日本国内の“熱狂ぶり”である。
 帰国早々に出場した日本ツアー「北海道meijiカップ」は“疲労無視”の強行出場であった。
 この試合は38度の発熱などコンディションは良くなかったが、4アンダーの13位タイと健闘した。
 予想されたことだが、大勢の報道陣が渋野日向子の一挙手一投足を追いかけたのである。
 テレビカメラも密着して渋野から離れない。記者・レポーターの過熱ぶりには眉をひそめるものが多くあったようだ。
 ツアー関係者によれば、渋野個人に対する警備体制は、07年に高校生だった石川遼がプロツアーに優勝した直後に匹敵するという。要するに“異常事態だった”と言っていいだろう。
 渋野日向子は無名から突如有名人になって、プライベートまでマスコミがつき纏われるうのだからタマラナイ筈だ。
 休日まで追いかけられれば、スマイル・シンデレラだって「気持ちをコントロールできなくなるかも知れない」と心配になるのも最もだ。
 小泉新次郎と滝川クリステルの寿報道が出たとき「そっちに行ってくれって感じです」といったのは、まさに渋野の本音なのである。
 渋野日向子は、まだ20歳なのだ。彼女のいいところはオンとオフの切り替えが速いことだと言われているが、常に「スマイル・シンデレラ」でいなけりゃいけない・・なんて可哀想ではないか。
 青木コーチなど関係者はマスコミの恐さをよく認識して、“過熱取材”から“渋野日向子という宝”を守って欲しいと私は願っている。
 
 

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