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梟翁夜話 №45 [雑木林の四季]

髭二題:その1「タゴールの美髭」

                 翻訳家  島村泰治

髭を生やすと云うか立てると云うか、はたまた蓄えると云うか、近ごろ其れは髭次第だということに気付いた。改めて見れば、生やす髭が無精に思え、立てる髭が気障に見えるから妙だ。髭は蓄えてこそ髭だと思えるまで概ね30年、髭を整える面倒をわがものと思う愛着が凌ぐようになって、いまは髭のない暮らしが空虚にさえ思える。

髭を考えるようになったのは毛に銀が目立つようになってからのことで、毛深い質(たち)だから無精髭を剃り残した顔の黒々とした様子が厭で、剃刀は上等のを選んで、常に青々と剃り上げていた。髭剃りは男子の欣快とすら思っていた。これも質か、40から50にかけて月代から顎へ銀がちらほら混じるようになった。頭髪は鬢(びん)辺りに銀の塊が固まって生えるようになった。

髭も佳かろうと思いはじめたのはその頃である。トルストイやタゴールの見事な銀髭を眺めながら、ぐんと老いればこれも佳かろうと思ったものだ。

髭は人を大仰に見せるものだ。大使館勤務のころ、大使に付きそう通訳として、らしからぬ面相は不味い。けだし銀も混じった整った髭は、面相に品を添えるものだ。20年余の大使館勤務の最後の数年間、丸善などを徘徊して整髭具を見つけ世間の髭自慢を観察し、ようやく自分の髭を拵えた。髭作りは知る人ぞ知る結構な愉しみなのだ。年ごとに銀が増えて我ながら見られる髭になった。毛深い質がしっかり生きたのである。

84歳を過ぎて、わが髭は混じりけのない銀髭になった。月代も伸ばし切って顎下一寸で留めた銀髭は、銀髪と調和してあたかも顔面を囲む銀のリング、われながら見事な銀の衣裳を顔に纏った風情である。頭髪に見られる裾回りの癖毛が髭にも現れて、なかなかの趣だ。九十翁になれば、タゴール並みの美髭を愉しみたいものだと、いまから企んでいる。

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