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日めくり汀女俳句 №39 [ことだま五七五]

四月二十一日~四月二十三日

         俳句  中村汀女¥文  中村一枝

四月二十一日
子供等の英語の窓の花 葵(あおい))
           『汀女句集』 葵の花=夏
 「お宅、もう一年生?」。子供を送りに出てきた若いお母さんにきく。この間まで赤ちゃんみたいだった女の子が黄色い帽子。「食が細いから給食が心配です」。お母さんは不安顔だ。新学期の朝の風景は新鮮でさわやかだ。
 向こうから並んで歩いてくる五人組の中学生、真新しいブレザーも、ズボンもぴかぴかしている。まだ産毛の残るすべすべの頬、この顔が、いじめや暴力、不登校にどうつながっていくのだろう。
 この真っさらの魂を汚していくのは、やっぱり大人の責任じゃないかな。

四月二十二日
春の夜の港を持てる木立かな
          『汀女句集』 春の夜=春
 昭和七年、汀女三十二歳、夫重喜の横浜税関転任に伴って、横浜に住んだ。久しぶりに俳句を作った。
 杉田久女の俳誌「花衣」に勧められたのがきっかけである。「花衣」は久女の長女、石昌子氏が写真復刻されていて手にすることができた。表紙の絵も字も久女が手がけている。当時にしては夢を誘うモダンな雑誌。久女のオ人ぶりがうかがえる。
 十年の睡(ねむ)りから覚めたように汀女は句作をはじめた。
 一号にのった句。
   毛糸きる背丈もちさくなり給ふ

四月二十三日
頬杖(おおづえ)や春セーターの腕若く
         『紅白梅』 春セーター=春

 汀女たちが住んだ横浜税関の官舎は野毛山の丘の上にあった。長女濤美子の友達であった岩崎静子さんは、中村家が引っ越してきた日から中村家に入り浸って今もなお健在である。いつ行っても汀女はにこにこして迎えてくれたそうである。
 小学一年だった夫はある日突然大森へ行こうと思い立ち、釣竿一本持って歩いて家を出た。家の者は誰一人知らない。鶴見迄くると疲れてきた。交番をみつけて道をたずねると、警官がとび上がった。「あの捜索願いの 出ている子だ」。
 家に帰ると待っていたのは父親の生まれてはじめてのげんこつだった。

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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