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検証 公団居住60年 №37 [雑木林の四季]

Ⅶ 公団家賃裁判 ― 提訴から和解解決まで

      国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治

  9.住宅・都市整備公団への再編

 家賃裁判にはいって1年後の1980年に関東自治協は20年目をむかえていた。この年、関東自治協は改組をきめ、6~7月に現在の東京23区、東京多摩、千葉・茨城、埼玉、神奈川の都県別に各地方自治協、五つ子が誕生したことはすでに述べた。同じころ日本住宅公団は、79年12月に宅地開発公団との統合が閣議決定され、「都市整備公団」への再編がすすめられていた。
 81年3月に第2次臨時行政調査会(会長土光敏夫)が設置されるとすぐ「行政改革」第1号として同年10月に日本住宅公団は廃止され、「住宅・都市整備公団」(住都公団と略記する)として再編された。設立準備の段階では新名称を都市整備公団としていたが、全国自治協と公団労組の共同の運動によって「住宅」を復活させた。新公団が「住宅」の表看板をはずそうとしたこと、新法1条の目的には旧法の「住宅に困窮する勤労者のために」を削ったことに、公団の変質が象徴的にあらわれている。新公団法案の審議にさいしては81年4月28日と5月7日の参院建設委員会で全国自治協と公団労協の両代表が参考人として意見を述べた。
 住宅・都市整備公団は81年10月1日に設立された。
 第2臨調は第1次(81年7月)から第5次(83年8月)の最終答申において一貫して公団住宅への利子補給の削減と家賃の定期的値上げを提起し、さらには既存住宅の建て替えを打ちだしている。その間82年11月27日に中曽根康弘内閣が成立した。臨調が最終答申をだすと、その推進を監視する機関として臨調にかわり臨時行政改革推進審議会を発足させた。「民活」路線がいっそうすすみ、、公団「民営化」への方向性はいよいよ明確になっていった。
 この流れにあわせて住宅宅地審議会は81年8月5日、答申「現行家賃制度の改善について」を建設大臣に提出した。この答申であらためて、公営および公団住宅の家賃は、①物価その他経済情勢の変動、②住宅相互間の家賃均衡上の必要ある場合、変更できることになっており、「定期的な既存住宅の見直しを提言したところであるが、その実施は必ずしも十分とはいえない状況にある」とハッパをかけている。公団家賃の定期的値上げを答申した審議会の顔ぶれをみると、南部哲也、稗田治、下総薫、畑中達敏たち公団関係者が住宅部会委員の半数を占めていた。

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