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梟翁夜話 №44 [雑木林の四季]

アナログの音や懐かし(下)

                 翻訳家  島村泰治

こうして、LPたちはうん十年振りでわが書斎に帰ってきた。MP3よりAIFFが音がいいなどど、信号音源に浸っていた私の音楽環境に古風なアナログ音源が復活したわけだ。きっかけが「弦の音」だから、そのインパクトは強烈だった。例の「シェヘラザーデ」を聴いた時のインパクトが後を引いて、私は俄にデジタル音源への急性アレルギーが発症、弦楽器が絡むものをCDで聴く気になれなくなった。書くのもそうだが聴くには弦楽四重奏に限ると思うほど室内楽が好みだから、その症状が室内楽に顕著に顕れた。

帰ってきたLP群のなかに「死と乙女」が埋もれていた。ジャケットから抜き出し、念入りに埃を払い流水で洗浄、ターンテーブルに載せ針を落とした。どこかにも書いたのだが、私はシューベルトを至高の楽才とし、彼の仕事を道標(みちしるべ)にしている。これぞ音楽の原点、と教えられたジョハン・セバスチアン・バッハの技法の枠を越えて溢れ出るシューベルトの楽想は、ミューズのそれであり、並みの音描きにはついに及ばぬ世界だ。そこには楽聖と云われるモーツアルトも、ましてやベートーヴェンなど手が届かない、というのが私論だ。

死と乙女が流れはじめる。落ちた針音の余韻をかき消すように、のっけの和音が滲み出た瞬間の感動は並ではない。ねっとりと、しっとりと絡んだ重音の厚みはまさにシューベルト、いやそれはやや過剰な反応だろうと云われようが、久しぶりにアナログを聴いた反応も混じえれば過剰どころかごく素直な直感ですらあった。信号音に毒された聴覚がアナログ音を介してサントリーホールに放り出された感覚だ。その日は、死と乙女を皮切りに「四季」、「調和の幻想」からドッペル(バッハの「2台のヴァイオリンのためのコンチェルト」)と聴きこんだ。ヴァイオリンを久しぶりに堪能したのである。

サントリーホールはさておき、デジタルに対するアナログの音楽的な価値を、この日私は改めて認識したのである。止まり木で食うにぎり寿司と回転鮨の哀れな乖離も切ないが、音楽の信号も等しく遣る瀬無い。音楽は一過性だからねっとりもしっとりもなかろうとは、およそ「音楽」を識らぬ輩の寝言だ。音楽は、太鼓と足踏みだけの原音楽ならぬ、弦楽の要(かなめ)の織り上げるタペストリーだ。絨毯ならデジタルは化繊の機械織り、アナログはハンガリーの手織りさながらだ。音は正直なものだ。0と1をどう組み合わせても、馬の尻尾がガットを擦って出す音に敵わないという事実は紛れもない事実だからだ。

蔵から帰ったわがLPたちは、こうして私の書斎で鮮やかに蘇生する。いま、ジャケットの修理から盤の埃取りに余念がない。追々に一枚ずつきめ細やかに養生されて、ターンテーブルに載りアナログ音を再生する。静電気を処理するブラシがほどなく宅配される。ダイアモンド針もそろそろ替え時かもしれない。わが書斎に「生音」が帰ってくる。なんとも愉しみである。

そんなある日、私はひょんなことで某サイトに立ち入った。音楽話を熱っぽく語るサイトだったが、ここで初期のLP録音を懐かしむ下りに至ってその部分を読み返した。1950年から60年代、将に本稿で触れた時期の録音再生の話が語られている。真空管を使った録音器機と電蓄のこと、その妙なる音質、音色の醍醐味が綴られているではないか。

これだ、と思った。器機には疎い私はアナログ録音の裏に真空管があったとは気付かなかった。勿論、昔のラジオが何球スーパーなどと性能を競ったのは真空管だった。トランジスタの到来で駆逐された真空管にアナログ録音の秘密が隠れていたとは、無知とは哀しいものだ。

それ以後、LPたちを聴くごとに真空管を思い出す。ややあって明るくなる真空管の「振る舞い」がアナログ性の証しのように思える。弦の立ち上がりの生々しさが思われて、音楽の有機性を改めて納得する。物置から帰還したLPたちを再び無碍に扱うまいと誓うのである。


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