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Challenge 100 Years! №1 [雑木林の四季]

沈黙の90日      

              映像作家  比留間亨一                                                           

 83歳の後期高齢者である。あんたの平均寿命は、とっくに尽きている。そんなこと言われなくても、分かっている。「人生100年」を称える、政治家たちは、高齢者の未来に何を描いて、生かそうとしているのだろうか。
 後期高齢者社会に対する思いやりが感じられない。何とか自宅での往生を試みていた83歳のと或る日、沈黙の日が訪れた。
 社会との別れは突然訪れた。死とはこんなふうにして、何の予告もなくやって来るのかも知れない。以前にもそんなことを経験した。
 その時は、モヤモヤする霧の三途の川の向こう側で、父と母が死に神を追い払ってくれた。何やら、神楽のような薄気味悪い音楽が靄の中で響き、ストレッチャーのようなものが靄の中から姿をあらわした。
 「乗っては駄目だ」 少年時代に聞き覚えのある父の声だ。悲鳴のような母の声が、稲妻の中から聞こえた。どのくらい経ったか分からない。
 今思うと、あれが臨死体験だ。ボーッと視野がひらけ、見覚えのある医者と看護師の顔があった。あれは、1969年の東大安田講堂事件で、取材中に倒れた時の記憶だから、50年も前のことだ。昔の記憶は、つい昨日のことのように蘇ってくる。
 ま、ひらたく説明すると、何もやれなくなり頭脳が無力化すると昔の記憶が忽然と蘇ってたる、まことに厄介な存在だ。つまり行動力・思考能力がブッツン状態になり、自分では制御不能になっり呆然とした状態なのだ。
 そんな状態で、呆然した毎日を過ごすということは、一見楽そうに見えて辛い。死ぬ前は多分こんな気分に襲われるのではなかかろうか。今日も明日も・・・また夜が明けても・・・今日と言う日が来ても・・・
 また今日もだ。剥げたソファーの定位置に鎮座して、ボートしている。だいたい、自分が自分である自覚が希薄だ。生命の末期症状とはこんな状況なのかも知れない。
 しかし過去の記憶は斑斑にして、脳天を突き破って明瞭に浮き上がってくる。実に不思議だ。ときどき恐ろしなって震えが来る。
 アクセルの踏み違いによる高齢者事故が多発すると、そればかりに異常に執着してしまう。運転するのが恐ろしくなり、運転免許返納ばかりが、脳裏を駆けめぐっる。
 「ああいやだ、いやだ、いやだ」と思っても、生きて行く為には、明日の自分を何とか ほんとうは、何も考えずに「ボーッ」と一日一日を過ごしていれば、今度は痴呆症が怖い。
 最近、要介護1から入れる養護老人ホームの広告がやらた目につく。いっそのこと、自宅を売り、介護付き老人ホームに入ろうかなんて思うこともあるが。それって、先行きに夢も希望もありゃしない。
 毎月、半端ない介護保険料をとられても、何の御利益もない。そのうえ分納とはいえ不動産税の高さに唖然とさせられる。
 そのうえ、後期高齢者医療保険料の特別徴収額決定通知書をみてびっくりだ。これではまさに、絞り取れる所からかってに絞り取れと言わんばかりで、抵抗できない高齢者をいたぶっているに等しい。これでは、身動きできない物言えぬ高齢者を老人ホームに隔離し、(これでもか・これでもか)と痛めつけているのとおなじだ。
 表面では善人ヅラして、文句が言えないところで、金を絞り取っている。政府と行政に対する恨み言は山ほどあるが、後期高齢者と呼ばれる老人に為す術もない。
 これからは命の続く限り、無為・無策な毎日を過ごしている、いち老人の気持を、書き続けたい。それが、沈黙からの目覚めである。 

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