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いつか空が晴れる №62 [雑木林の四季]

     いつか空が晴れる
          -コクリコ~小さなひなげしのように~
                      澁澤京子

 小学校の低学年の頃の土曜日の夜と日曜日の朝は、私にとってはまるで天国にいるように楽しかった。土曜日の夜は「夢で逢いましょう」という音楽番組を観てから寝る、日曜日の朝は「兼高かおる世界の旅」と黛敏郎さんの「題名のない音楽会」を必ず家族で観ていた。そのせいか、音楽というものは私にとって幸福の象徴のようなものでもあった。(その割にピアノの練習は嫌いだった、母に叱られながら毎日少なくとも30分は練習しなくてはいけなかったからだ)

日曜日の午前中、「題名のない音楽会」が終わってからは、母と一緒に犬の散歩に行って、当時私が通っていた山王小学校の近くの山王ベーカリーというパン屋さんでお昼のサンドウィッチを買ったのを覚えている。陽のあたるショーケースの中にはコッペパンにいろいろな具を挟んだパンが並べられていて、私はホイップクリームの入ったコッペパンが好きだった。

その頃、母はシャンソンを習っていた。母の傍らに置かれた録音テープから、母が自分で吹き込んだシャンソンがよく家の中に流れていた。
「~薔薇は恋の花と人は言うけれど、どうしてそんなにひなげしが好きなの・・」(ムルージ・小さなひなげしのように)とか「ボンジュール、パリ!・・」(イブ・モンタン・パリのいたずらっ子)とか、その二曲をはっきり覚えている。
コクリコのほうは、少女がナイフで殺されて、胸の血がまるで小さなひなげしの花のように赤かった、という歌で、子供心になんて暗くて怖い歌だろうと思い、その歌が嫌いだった。(調べてみると、恋人と逢引していた少女が、横恋慕した男に殺されるという内容)しかし、家の中で何度も聴いていたせいか、その歌は耳にはりついてなかなか離れなかった。

この間、父と食事をしていたときにふとそれを思い出した。
「昔、ママはシャンソンを習っていたことがあったよね?」
「うん、僕はママの発表会に行ったことあったよ・・」
「どうだった?」
「なんだかママは怖い顔をして、目だけをやたらとキラキラさせて、歌っていたよ・・」
新劇出身の母が、思い入れたっぷりにシャンソンを歌っていた様子はとても想像がつく・・
観ているうちにいたたまれなくなった父は廊下に出て、ロビーで煙草を吸っていた。すると、知り合いの人にばったり会った。彼もまた奥さんが発表会に出るので来ていたそうで、二人で顔を見合わせて、思わず苦笑いをしたのだそうだ。

いつのまにか家の中には、母のシャンソンが録音テープから流れることはなくなった。母はおそらく自分の才能に見切りをつけて早々とやめたのだろう。

これを書いている今は、雨の降る日曜日の朝。なぜか思い出に出てくる子供の頃の日曜日の朝は晴れて陽射しが明るくて、まるでキリコの絵にある車輪を回して走っている少女のように、すぐ横には暗い影があるけれど、いつも陽のあたる明るい道だけをひたすら楽しく走っていたような気がする。

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