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バルタンの呟き №59 [雑木林の四季]

「五月雨の晴れ間うれしく」

                映画監督  飯島敏弘

    〓さみだれの はれまうれしく のにたてば のはかがやきて
    しらくもを とおすひかげに はやなつの あつさをおぼゆ

五七調の美しい言葉に、叙情的でさわやかな曲のついた小学校唱歌をご存知でしょうか。
もっとも、全国の小学校が、明治以来の、「生活上必要な基礎的な道徳、教養と普通の知識、技能を授ける」場から、日本全国均一の文部省国定教科書による「皇国の道に則りて初等科普通教育施し国民の基礎的錬成をなすを以て目的とする」に変った国民学校育ちの僕たちが習った歌ですから、もはや、とっくに、あの戦争は忘れたというよりも、あった事も知らない子供たちや、若い方々はおろか、ふつうの大人たちに知られていない歌かも知れません。最近、しきりに運転免許の返上を迫られている80代半ばを越した僕ですら、果たしてこの歌に2番以下があったのかどうかさえも確かではないのですから。
でも、幼い頃に刷り込まれた記憶というものは、昨日の夕食に何を食べたかを的確に覚えていないほど衰えた脳の中で、突然息を吹き返したように鮮明に甦って来るもののようです。
というわけで、僕は、今朝、公園でのラジオ体操の後、扇状に広がる広汎な台地を50年ほど前に拓いて宅地化されたわが街を囲む丘の道を、一人、この歌を繰り返し口ずさみながら、歩いてきたのです。
街のほぼ全域が木造一戸建て分譲でしたから、50年を越した現在ではその半分ほどが、子供世代どころか孫までが自立、別居して、老いた夫婦二人、いえ、最近では、主人後家どちらかの独り住まいがめだつという有様です。住民の平均年齢が、すでに後期高齢者年齢を越していますから、町のほぼ中央にある、周200メートルほどは取れるグランドを中心に毎朝行われるラジオ体操会も、老々介護とは言わぬまでも、老々懇親コミュニティーといった状況ですから、終了後、公園から30名ほど固まって出発する、毎朝ルーティンのウオーキングも、ほぼ同年齢の、ほぼ固定したメンバーの、ほぼ同じ内容の会話ばかりなのと、しかも、最近とみにスローになった歩きには、脚の衰えを何とか抑えようと思って歩く僕には、少々辟易するものがあって、近ごろ、週、一、二度は、するっとエスケープを試みて、独りで別の道を、という次第なのです。
歌詞にあるように、五月雨の晴れ間というものは、齢甲斐もなく、若造のごとく、なんとなく儚くて、うきうきするものです。これは、決して僕だけの感情ではないと、思います。独り、誰とも行き違わずに、小高い丘のうえの、見晴らしのいい、樹林の小道を、五七調のリズムのいい歌詞と、快いメロディーの歌を口ずさんで歩けば・・・
僕の場合、そうです。浮かぶのは、あの、ミロの、印象派の、あの、日傘を傾けた絵・・・そして、ああ、
想い出しました。そうです。国民学校六年生の、ある、五月晴れの日、集団疎開地です。日頃から、少国民の錬成という、抑圧された軍国主義教育に押し潰されながら。しかし、確りと目覚め始めた感受性に、抗しようもなく突き上げられ、苛まれながら秘めていた、あこがれの、女先生への想いです。
用向きは、戦況の悪化とともに、減り続ける食料の配給のために、逼迫した疎開学園寮の子供たちのために、村の有力農家に、米の調達に行くことでした。若しかしたら、というよりも、なんとかして、自分一人では持ちきれないだけの米を、という思いで、六年生の僕を連れて、森の抜け道を急いでいたのです。多くの子供たちの餓えを思いながら先を行く先生の後ろ姿を、なんということか、下町育ちの、ませた六年生は、何か浮き立つよろこびに浸りながら、いえ、時に、罪ぶかい動悸さえ覚えながら見つめ続けて、空のリアカーを押していたのです
有力農家の主は、幸いに好漢でした。良家令嬢という噂の高かった女先生が、低く頭を垂れて懇願するまでもなく、気前よく、米袋を二つ、リアカーに乗せた後に、おかみさんに大麦の入った袋を持ってこさせて、僕に合図したのです。気が変っては困ると思った僕は、大急ぎで、おかみさんのところへ行って、ずっしりと重い袋を受け取って、リアカーに乗せました。そして、帰りを急いだのですが、少し重くなったリヤカーを引く先生の姿は、うしろから見つめ続ける僕にも伝わるほど、喜びに弾んでいました。と、突然、何か忘れでもしたように、先生が振り返って、僕を、じっと見つめたのです。先生の目に、涙が、溢れていました。
「よかったね!」
それだけいうと、急に、押して行く僕が躓きそうになるほどのすごい勢いで、リヤカーを引いて行くのです。
森を抜けて、学園寮に続く、開けた道に出た時、まさに、野は、輝いていました・・・

天気予報によると、明日も晴れそうです。
あした、僕は、ウオーキングする仲間に声を掛けて、何かの歌をみんなで唄いながら、尾根道を歩いてみようかな、と、思っています。老人と老嬢ばかりだけれど。
ただし、「故郷」だけは御免です。
「〓うさぎ追いし かの山~」
何故かあの歌を唄うと、どうしても、遠くもない未来に、老人ホームで、無邪気に、声を揃えて唄っている、自分の姿が描かれたリアルな絵が浮かんできてしまうだろうから・・・です。
五月雨の晴れ間うれしく、緑かがやく尾根道を、大勢の老爺老婆が、声を揃えて唄って歩いて行く・・・それぞれが、自分の、いちばん輝いた日を思い浮かべながら。
ま、悪くはないと、思うのですが・・・ 


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