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梟翁夜話(きょうおうやわ) №40 [雑木林の四季]

「便利と不便」

                     翻訳家  島村泰治

どうも陽気が定まらないようで、半袖の上にちゃんちゃんこを羽織ったり着込んだチョッキを剥いだりしている。気温に過敏になっているのも確かだが朝晩のテレビの天気予報でつけられる知恵のせいでもある。

気づかれる人も多かろうが、昨今のテレビ(ほぼNHKだが)の天気予報はあきれるほど懇切丁寧だ。さぞ気象衛星からの情報が溢れているのだろう、町村単位いや同じ村でも東西南北でわずかに異なる予報を立てて放送している。浦和と熊谷で晴れと曇りの違いがあるのは驚くに当たらず、中間のわが桶川が晴れたり曇ったりとなれば云うことはない。ともかく精緻極まるのである。

それがどうした、と問われる向きがあろうかと思うが、とかく斜っかいにものを見る癖があるせいか、筆者にはこれが鬱陶しく思われるときがあるのだ。シャツは薄手にしておけとか折りたたみ傘ぐらいは持っていけなどといわれれば、大きなお世話だ、そのくらいは手前で決めるから放っておいてとすら思うのである。

面倒の見過ぎは昨今の悪弊だと思う。子供の世話ならいざ知らず、いい大人に向かってああせいこうせいはいらぬお世話で、個人の権利を謳いながら貰うものはなんでも意に介さないバランス感覚は、いらぬお世話さえ唯々諾々といただくと云う、人間力劣化の兆しの最たるものだ。

それはやや言い過ぎかもしれない。度単位の気温予報がたしかに役に立つ。出先で寒気に会い、予報のいいなりに上着を携えて行ってよかったと云うことはあるだろう。ググればなんでも分かる軽快は味を占めれば止められぬ。ちょっとした文章ならネットを漁って原料を手に入れ、ちょこっとコピペすれば容易に書ける。だが、そんな代物(しろもの)で小金(こがね)が取れる世間に生きる虚しさをどうしてくれる?書き物を依頼するクライアントがオリジナルで頼むとあえて指摘せねばならぬ時代だ。ネット上の大方の書き物が大方コピペだとバレているかの如くだ。そんな便利がいいのかわるいのか、という話だ。

便利にはほどがあると思うのだが如何だろう?言い換えれば「不便の利」と云う観点もあるだろう、と。出がけに玄関先で傘を手に天を仰ぐ風情然り、明日の天気を願ってテルテル坊主をぶら下げる幼児の心情また然り、ひとは不便を糧に知恵の文化を紡いできた。経験と想像を綯い交ぜて手立てを考えてきた。そのプロセスでひとはものを観察しものの道理を知り、人知の極みを弁える謙譲の徳を得た。不便は知恵の動機であり不便は英知の砥石でもある。

天気予報の話に戻ろう。寒くなるから半袖より長袖にしろよ、朝晩小寒いこともある頃に日中気温が急上昇するから熱中症にご注意などは、過保護情報としか思えない。過保護といえば、いつだったかあるフランス人が時間に正確な日本の鉄道を褒めちぎりながら、乗降時のアナウンスは大きなお世話だと云っていた。「まもなく電車が到着します。白線の後ろに下がってお並びください」というあれだ。交差点上、車が見えなければ赤でも渡る名うての民族には、白線・・云々にはイラつくらしい。フランス人ではないが、あれはたしかに軽度の騒音に聞こえる。白線ばかりではなく、ひっきりなしに流れる駅のアナウンスはほとんどが大きなお世話、街中の電信柱のように、さっと消えたらさぞ景観が変わろうという類のものだ。


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