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いつか空が晴れる №60 [雑木林の四季]

   いつか空が晴れる
    -モーツァルトピアノ協奏曲第21番2章―
                     澁澤京子

 以前、私は人から紹介されて、竹内芳郎先生の「討論塾」に通っていたことがあった。
場所は先生が住んでいらっしゃる小田急線沿線にある高級老人ホーム。
月に一回集まって、「沖縄基地問題」や「日本に軍備は必要か?」といったテーマで、先生を中心に議論を進めていくのだった。毎回レギュラーで参加するのは4,5人で、私以外は研究者か学者。別に市民活動家でもなんでもないただの専業主婦の私は、その中では相当場違いだったんじゃないかと思う。一回、参加すると次までに読まなくてはいけない課題図書が4,5冊はあって、それだけでもついていくのが大変で、結局半年くらいしか通えなかった。

竹内先生は大正13年生まれ。日本にサルトルを紹介された哲学者。サルトルのアンガージュマンを実践すべく市民のための政治討論塾を張り切って開催されてたのだ。私がお会いした当時、先生は80代後半でいらしたと思うけど、参加者の中で一番エネルギッシュな存在だった。課題になった翻訳書は英語もフランス語も、いつも必ず原書にも目を通されていて、翻訳のチェックもされているのだった。
父とほぼ同年代の先生は、やはり学徒出陣で動員された。先生は、幹部候補生を断って一兵卒として従軍されたらしい。そして先生は中国に送られた。
先生はそういう、潔癖で純粋なところをお持ちだった。

「慰安婦問題ね・・僕の知っている範囲では、ほとんどが朝鮮人女性です。もちろん、僕は一度も行ったことはありませんよ、僕はそういう所は嫌いですからね。ただ、ほとんどが朝鮮人女性だったのは事実です。そして、どこの国の軍隊にも、慰安所のようなそういったものはあったでしょう。」
そして先生は顔の前で大きく手を振って、慰安所には一度も行ったことがないことを何度も強調されるのであった。
私が参加する以前、一水会の鈴木邦男氏が討論塾に来たことがあったらしい。先生は、鈴木邦男氏とは立場を乗り越えてお互い、大いに意気投合されたそうだ。その場に居合わせた人から、「・・どっちが右翼だか左翼なんだかわからなくなった。」という話を聞いた。
鈴木邦男氏も、それから恐らく「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」の句を残した故・野村秋介氏とかも、熱い正義感と情熱を持っているところは竹内先生と同じだったんだと思う。

竹内先生はご自分の嫌いな政治家の悪口になると、いつも少年のように目を輝かせイキイキとされていた。
なんといっても先生は、市民の力とより良い民主主義社会を信じてやまなかったのだ。

先生がクリスマスに、フランス料理のコースをみんなにご馳走してくださったことがあった。
「皆さん、聞いてください。この間、僕の身に大変なことがおこりました・・」
みんなはいっせいにおしゃべりをやめて竹内先生の方に頭を向けた。
「一週間ほど前の夜のことです・・」
先生が夜中に、ふと気配を感じて目を覚ますと、ベッドの脇には長い白髪をたらした老女がじっと立っていて先生を見おろしていた・・
「・・僕は心臓が口から飛び出るほど驚きました・・驚いて心臓麻痺で死ぬかと思いました。」
その老女は、先生の並びの部屋に入室している、痴呆症になってしまった女性だった。
いつも先生は健康のため、冬でもベランダの窓を少し開けて寝る、彼女はベランダ伝いに徘徊しているうちに、窓の開いていた先生の部屋に入ってきたらしい。
先生は、以前は奥様と入居されていた。奥様が亡くなられてその部屋を書庫として今では使っていらっしゃる。ここ最近、書庫の本が時々ゴミ箱に捨ててあったり、ティッシュが床に散らばって落ちていたり、ずっと不審に思われていたらしい。
「そこで僕はこの老人ホームの経営者にクレームをいれました。なぜ痴呆症になった入居者を、介護施設にいれないのか?と。」ところが、先生の抗議はまともに相手にされなかったらしい。
「そして、いまだ僕に対する回答は何もありません・・日本の組織は政治でもなんでもトップに行けばいくほどそうなるのです。」
先生は、ベッドの脇に立っていた痴呆症の老女の話題から、日本社会のシステムの病弊というテーマに移行させて、クリスマスの議論の材料としてみんなに問題提議をされたのであった・・

そのうちに、私自身の私生活も別居や離婚でゴタゴタして通えなくなった。そして、先生にご無沙汰しているうちに先生が亡くなられたことをずいぶんあとになって知った。

あんなに頭抱えてたくさん本を読んだのに、一番よく覚えているのが、夜中に先生のベッドの脇に立っていた痴呆症の老女の話というのが我ながら情けないけれど、一服の清涼剤のように、いつも爽やかだった竹内先生。

日本では、先生のように頑固な「市民的不服従」の個人の精神はなかなか育ちにくいのかもしれない。先生は集団のルールや道徳ではない、個人の良心というものをとても大切にされた人だったのだ。

歯に衣着せない、先生の歯切れのいい政治批判と鮮やかな悪口を、また聞いてみたいと時々懐かしく思い出すのである。


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