So-net無料ブログ作成

過激な隠遁~高島野十郎評伝 №3 [文芸美術の森]

第二章 画家との出遇いと交流 1

           早稲田大学名誉教授  川崎  浹

「これはもう運命だよ」

 私がはじめて高島野十郎に遇ったのは、大学院に進学した昭和二十九年(一九五四)の十月十五日である。詩人や、建築を学んでいた友人と三人で秩父の山歩きをしたおり、あるバス停で、小脇にスケッチブックを抱えた背広姿の紳士と立ち話をした。話し好きの友人がなにかと言葉を交わし、相手がまだ世間ずれしていない若者たちなので、紳士の口もとも自然にほころびたのだろう。初老にしてはわかわかしい、やや長身の、いまでいうかっこういい人だった。
 画家でもあり、画家でもないような、ネクタイ姿の人物の影は、その後の私の生涯で淡い記憶の奥にしまわれるはずだった。いや、記憶にさえ残らなかっただろう。
 あとで知ったが、秩父の山で私たちが遇った十月十五日の十二日前に、六十四歳の野十郎は七十六歳の長兄宇朗を亡くしていた。
 それからちょうどひと月をへた十一月四日、上野の国立博物館にルーブル美術館展を見にゆき、私が長蛇の列に並んでいると、山で遇った例の紳士がソフト帽をかぶり、茶系の外套をひるがえすようにして入り口から出てきた。どういうわけか美術館ではなく西欧の小説から抜けでた怪人物のように見えた。私もすぐに気づき、先方も覚えていて、「やあ」とおたがい笑顔であいさつした。山で見たおりの紳士にちがいないが、都会では逆になにか土の匂いを感じさせ、親しみをおぼえた。ぴったりしているとはいえない厚地の外套のせいもあったろう。それがかえってかれの雰囲気にふさわしかった。当日の私の日誌に「画家高島氏にあう」と記入されており、これで私の記憶が確保されることになった。
 翌昭和三十年(一九五五)のメモには「春」とだけ記されているが、四月上旬の頃、日和(ひより)に誘われて私はコートを着ずに渋谷のゴヤ美術展に出かけた。入ってすぐの小部屋に飾られている銅版画の《ロス・カプリチョス(気まぐれ)》の一枚に見入った。これは老若男女を問わず人間の醜さを風刺した縦横ほぼ十八×十二センチ前後のシリーズもので、愚かしく誇張して描かれているので、見る者の気持ちを浄化するような作品ではない。作者の意図をくわしく知るには解説さえ必要だ。ちょうどそのとき、見終わって出てくる画家とまた鉢合わせした。
 画家は歩を止めて、私が覗いている銅版画を見てなにごとかを説明し、指さしながらこぅ言った。「この黒い影にゴヤの闇、悪魔がいるのだな」。そして楽しそうに笑った。私はこれはただの日曜画家ではあるまいと思った。画家は説明役を引きうけながら小規模の会場を一巡し、ともに外へでた。

 高島さんはアトリエがすぐ近くの青山にあるからと私を誘った。私も好奇心がつのった。渋谷のガード下の市場でかれは炊事のための生イカを買った。それで独身だと察しが ついた。魚屋が新聞紙でイカを包んだ少し冷たくなまくさい感じが、猥雑で活気にみちた街の情景といっしょに浮かんでくる。
 のちに高島さんは真顔で、私たちの出遭いを「これはもう運命だよ」と言って私を少し驚かせたが、実際、一千万の人口が渦巻いている関東圏で、見知ったばかりの人物とたてつづけに三度出遇うという体験は、生涯を通じてこのときだけだった。しかも出遭うたびにアトリエに近づき、三度目のときは歩いて行ける所にあった。画家が私と同県の出身ということも分かった。


『過激な隠遁~高島屋十郎評伝』 求龍堂

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。