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いつか空が晴れる №57 [雑木林の四季]

     いつか空が晴れる
         ―汚れちまった悲しみにー
                       澁澤京子

 満開の桜が散り始めて、急に気温が低くなった頃、父の具合が悪くなって緊急入院することになった。
心筋梗塞。暖かくなったり、急に真冬のように寒くなったりの温度差が96歳の父の体にはこたえたのだろう。

去年の春も父が入院した病院で、病室の窓からは目黒川の桜並木がよく見える。
絶対安静の状態でベッドに寝た切りの父。毎朝、看護婦さんが排せつ物の処理をしてからきれいに洗ってくれるのだそうだ。
「まだ若いのに、看護婦さんというのは大変な仕事だね、」
「そうねえ。」
「朝、看護婦さんに洗ってもらうたびに、中原中也の詩で(汚れちまった悲しみに・・・)っていうのがあるでしょう?あの詩がなぜか僕の頭の中に浮かんでくるんだよ。」

―汚れちまった悲しみに、今日も小雪のふりかかる・・・・汚れちまった悲しみに、なすところなく日が暮れるー

汚れちまった悲しみに、今日も小雪のふりかかる、か。
父は私に似て怖がりなのだ。病院が嫌いなところも似ているかもしれない。現実を直視できないようなところがあるのだ。
祖母が危篤のとき、父だけ病院から出ていなくなっていたことがあった。父は、自分の母親の死を見届けることが怖くてできなかった。

また、父は昔の人間だから、とても他人に遠慮する性格で、家族に対しても気を使うようなところがあるので、看護婦さんにそういった仕事をしてもらうのが恥ずかしいし、苦痛なのだろう。
そういえば、去年入院したときは、父から火野葦平の「糞尿譚」の話を聞いた。
「人っていうのは、結局最後は糞尿まみれになって死ぬのかなあ・・・・」
絶対安静で寝たきりの父は、しきりに火野葦平の「糞尿譚」の話をしていたっけ。

年を取るということは年々、赤裸々になっていくことなのかもしれない。精神的にも肉体的にも、若さでごまかしてきたものが、年取ることによって一枚一枚薄皮がはがれていくようにはがされていく。身体がまったく利かなくなった時に見る風景は、私が今見ている風景とはまた別のものになっているのだろうか。

余計なものがはがれおちていくということは、自分のちっぽけな意志なんてものは、ほとんど何の役にも立たなかったんだということに気が付いていくプロセスでもあるのかもしれない。

四月とは思えない寒い日で、病院を出ると、雨に濡れた遊歩道には散った桜の花びらがたくさん貼りついていた。



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