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論語 №72 [心の小径]

二二四 子のたまわく、これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、それ回(かい)なるか。

                法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「一応説明してやると、それで済んだつもりで気がゆるむのが普通で、そうでないのは顔回ぐらいのものか。」

  次章にも見えるとおり、顔回はさらに一歩前進するのである。

二二五 子、顔淵(がんえん)を謂(い)いてのたまわく、惜しいかな。われその進むを見たり。未(いま)だその止(とど)まるを見ざりき。

 顔淵の死後、孔子様が追懐(ついかい)しておっしゃるよう、「ほんとうに惜しいことをした。進むところは見たが止まるところを見なかったのに。」

 その学徳の日進月歩して止まるところを知らず、この様子ならばどこまで伸びるかと楽しみにしておられた様子が、短い言葉にあふれている。

二二六 子のたまわく、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者あるかな、秀でて実らざる者あるかな。

 孔子様がおっしゃるよう、「苗のうちはよさそうだったが、それきりで花の咲かぬ者もあることかな、花は咲いたが実のならぬ者もあることかな。」
                                        
 いわゆる「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」の多いことを遺憾として、小成(しょうせい)に安んずるな、大成(たいせい)せよ、と門人たちをはげまされたのである。前章との連想から顔回の短命を惜しんだ言葉と解する説もあるが、どうもそうではあるまい。寿命の問題ではなくて、学徳の問題である。
 私は両親が芝居ずきで、子供の時九代目団十郎・五代目菊五郎を見せておいてくれたことを感謝している次第、それ以来ずいぶんおおぜいの役者を見たが、いつでも感心するのは子役の上手なことだ。父はよく「ガクシャの子よりヤクシャの子の方がえらいぞ。」と私をからかったものだが、それで将来どんな名優になるかと楽しみにしていると、存外(ぞんがい)期待はずれの場合が多い。個人をさしては悪いが、二代目左団次の弟の莚升(えんしょう)が「ぼたん」といった少年時代は実に驚くべき名子役だった。坪内逍遙作「牧の方」の初演のとき、政範(まさのり)という役で、芝翫(しかん)すなわち後の歌右衛門の牧の方を向うに回して大芝居を演じ、兄左団次(当時の莚升)の北条義時などは問題でなかった。その後「ヴイルヘルム-テル」の翻案劇で左団次が「猟師照蔵」を演じたとき、例のりんごをあたまにのせるその子をつとめてスッカリ兄貴を食ってしまったこともある。これに反して左団次は莚升時代には大根楽者と罵(ののし)られた。「矢の根」の五郎を演じたとき、新聞漫画に大根が馬上で大根を振り上げているところがかいてあったのを覚えている。初代左団次の追善興行のとき、弟ぼたんとならんで舞台にすわり、私はご承知のとおりの未熟者でござりますが、これなる弟は末の見込みがござります故御引立を願い上げまする。という口上を言って、見物を気の毒がらせたものだ。しかしさすがは団十郎で左団次のぼたん時代に、こいつは大物になる、と言っていたそうだが、果して洋行帰朝以来あの通り我が国の劇界に新生面を開き、先代とはまた型のちがった、そしてより偉大な名優になった。それに引きかえ麒麟児ぼたんは莚升になってから「秀でて実らず」で済んでしまった。さらに団十郎すらが、若い権十郎時代には「権ちゃん甘い」といわれたそうな。大器晩成なるかな、大器晩成なるかな。


『新薬論語』 講談社学術文庫

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