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日めくり汀女俳句 №30 [ことだま五七五]

三月二十五日~三月二十七日

         俳句  中村汀女・文  中村一枝

三月二十五日
父母ありぬ春日(はるひ)横たふ阿蘇ありぬ
           『紅白梅』 春の日=春
 汀女は大正九年二十歳で結婚、と年譜にも自伝にも記されている。結婚の年が誤りだと指摘する人があり、種々の資料からも信憑性(しんぴょうせい)が高い。
 大正十年結婚説が正しいようだ。
 夫、中村重喜は明治二十五年生まれ、五高、東大、さらに在学中高文の試験をパスした秀才だった。当時にあってはそれは輝かしい将来へのパスポートだった。東京への憧(あこが)れはあっても故郷を離れる気のなかった汀女が遠い東京へと行くのである。

三月二十六日
桃咲きて鳩それぞれにふくみ声
           『紅白梅』 桃の花=春
 大正の初め、女性にとって結婚は一種の運命の踏み台であった。汀女が中村重喜と結婚し、東京へ行ったということは一つのジャンプである。最愛の一人娘を両親が、何故手離す気になったのか私には疑問である。汀女を熊本には置いておきたくない理由があったのではないか、と思いたくなる。
 それが何であったのかは憶測の域を出ないのである。
 ただ、当時の汀女は単に田舎の女学校の補習科を出た女学生というより、「熊本日々新聞」の俳句欄に毎回名前ののるような、地方では芽の出かかった女流俳人であった。

三月二十七日
ふれまじく夜半(よわ)こそ真白(ましろ)霞草(かすみそう)
            『薔薇粧ふ』 霞草=春
 中野孝次氏が小説「暗殺者」で文部大臣賞を受賞された。一人の純粋な青年が次第に暗殺者に仕立て上がっていく過程は、戦前の日本のいつか来た道に重なってくる。
 戦争中の子供であった私にとってこの道は二度と通りたくない。時代の風潮が少しずつおかしくなっている。今この小説をいろんな人に読んで貰いたい。初期の作品「麦熟るる日に」に感動して以来ずっと愛読者である。氏は戦時中五高に在学し、さらに復員後も再び復学している。当時の青春群像を描いた「苦い夏」、熊本の町の点描もまた興味をひく。

『日めくり汀女俳句』 邑書林

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