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木漏れ日の下で №22 [雑木林の四季]

「王育徳紀念館」その二

          詩人・エッセイスト  近藤明里

 前回に引き続き、父の記念館について。今回は第一室の展示内容についてご紹介したいと思います。
 前回述べたように、紀念館の建物が5部屋から成るので、それに合わせて展示も5つのジャンルに分けて作りました。
 第一室は王育徳の61年間の人生が見えるように、年表や写真、育徳の愛用の品々、成績表などが展示されている他、王の著作が全て並べられ、そのうちの多くは来館者が手に取って読めるようになっています。貴重な雑誌『台湾青年』も数冊有り、つい読みふけってしまって、他の展示をみないうちに閉館時間になってしまったという人もいたそうです。
 台南市文化局が制作した紀念館のパンフレットの第一室の説明にはこう書かれています。

第一室 文学青年から多面的活動家へ
 王育徳(1924-1985)、それは台湾人が忘れてはならない名前である。
 王育徳と兄育霖(1919-1947)は、共に台北高等学校および東京帝国大学の卒業生であった。二人は、将来台湾の為に役立つ人間になろうと誓い合ったが、戦後、運命は兄弟を翻弄した。育霖は228事件の犠牲になり、育徳は25歳で日本へ亡命。日本で自由を得た育徳は、愛する故郷のためにできる限りのことをすると決め、一生を台湾人の幸せのために捧げたのである。
  それは、台湾語の研究、台湾独立運動、台湾文学の研究、台湾人元日本兵士の補償請求運動など、多岐にわたるものであった。そして、その全てが、故郷を想う一つの泉から湧き出たものであった。育徳は国民党政権のブラックリストに載せられたため、一度も帰国できぬまま日本で亡くなったが、今、魂はこの地に迎えられたのである。

 第一室に入るとすぐ左手に李登輝元総統からの言葉が掲げられています。

      王育徳紀念館に寄せて        李登輝
     
  王育霖さんと王育徳さんの兄弟は、ともに私の台北高等学校の尊敬する先輩でした。兄、育霖さんは台湾の司法を背負って立つ人材でしたが、非常に残念なことに228事件で犠牲になられました。
  弟の育徳さんは日本に亡命されましたが、私は東京で一度お会いし、台湾の将来について語り合ったことがあります。
  住む場所も与えられた環境も異なりましたが、私たちは共通の理念で結ばれていました。それは、台湾人の幸せを願い、その為に最善を尽くすということでした。
  育徳さんの魂はこの地で、台湾の幸福を見守り続けるでしょう。

長い間秘密にされていたことですが、ここに書かれているように、実は李登輝先生は1961年、密かに東京の我が家にいらしたことがありました。その頃すでに父は自宅を台湾独立運動の拠点「台湾青年社」の事務所にしていましたから、もし来訪が国民政府に知られたら、よくて長期刑、もしかすると死刑になっていたかもしれません。そんな危険を冒してまで李登輝先生は父に会いに来られ、二人は台湾の将来について語り合ったのです。二人はその後二度と会うことはありませんでしたが、それぞれ自分の居る場所で台湾の民主化の為に力を尽くしたわけです。

 来館者が驚くのは、非常に古い文物が、それもレプリカでなく本物が数多く陳列されていることのようです。生家の屋号「金義興商行」の名が書かれた蝋燭をしまう箱、王の父親が紀元2600年の式典に招かれた時の勲章など。この貴重な品は、紀念館の設計担当者だった洪清華氏が自ら探し出してくれたものです。小学校(公学校)、中学校、高校の成績表、などは王が日本へ亡命する時に、ほとんど何も持って出られなかったなかで、唯一持って出たものでした。パスポートも持たずに身一つで亡命する時に、自分の存在を証明する唯一のものと考えたのでしょうか? その時の気持ちを想像すると切なくなります。まだ25歳の青年はどんなにか心細かったでしょう。
 日本に亡命した後の文物も数多く展示されていますが、実は物が多すぎて選別するのに苦労するほどでした。普通、個人の紀念館を作る時は、展示品を探すのに苦労するらしいのですが……。物持ちのよい妻雪梅の性格が大いに役立ったと言えるでしょう。雪梅は、夫が亡くなった後、ゴミ箱に捨ててあった原稿も拾い、夫のものは紙一枚捨てずに保管してきたのです。玉石混交ではありますが、母にとってはどれも宝物だったのだと思います。

  *   *   *   *   *   *   *   *   *   *
            目の奥にあるもの
                         近藤明理
     
      いつも穏やかだったはずなのに
      父のどの写真を見ても
      目の奥に悲しみがある
     
      悲しい目の奥にあるのは
      人への優しさ
      自分の痛みを受けいれて
      人には同じ思いをさせまいとする正義感
      木が育ち
      花が咲いて実がなる頃
      人は種を蒔いた人のことは思い出さないものだ
     
      それでいい
      種を蒔いた人も
      自分を思い出してほしいとは望まないものだ
     
      遠いその日を見ていた目
      その日のために生きようと
      自分に誓った生き方
      迷いのないそのまなざし
                           


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