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対話随想余滴 №8 [核無き世界をめざして]

余滴8 関千枝子から中山史郎様へ

             エッセイスト  関 千枝子

 本来なら今回は中山さんからの番なのですが、中山さんは、二月初めから入院中です。肺炎ということで、数日の入院かと思っていましたが、入院が長引き心配しました。年寄りの肺炎は気を付けなければいけないと言いますし、甘く見てはいけないようです。でも、とにかく快方に向かっておられるそうです。でも、今しばらく入院が続きそうですし、とりあえず、今回は関からの発信をもう一度続けます。

 私はあいかわらず、連日あたふたいろいろなことをやっております。何をやっているか、詳しくお知らせしなければなりませんが、とりあえず、今回は原爆のことを中心に書きます。
 二月八日、中塚明さんの「日本人の明治観を正す」という講演会に行きました。中塚さんは歴史家で元奈良女子大学長。いま、日本では韓国、朝鮮に対する反感がひどいですが、それにはあまりにも朝鮮のことに対する無知、明治は素晴らしいといったいわゆる「司馬歴史観」が「常識」になっているからだと思います。
中塚さんは以前から司馬史観に批判的で、私は、日韓関係の歴史の専門家(研究者)として最高の方だと思っています。ここ数年、お連れ合いの介護でなかなか外に出られないと言っておられたので、心配していたのですが、先日朝日新聞に「東学党」のあとをたどるツアーのことが上丸洋一記者の執筆で出ており、その中で中塚先生がツアーの案内役として活躍しておられることが出ており、お元気なのだ!と思っておりました。そのうち二月八日の講演会の情報が入り、ぜひ行かなければと思っているとき、中塚先生から講演会のことを知らせる手紙が来たのです。これは何としても行かなければなりませんね。
 中塚先生のお話は、朝日新聞の記事のことに始まり、「東学党のことを日本の新聞で取り上げたのは、初めてのことではないか。画期的だ」と言われました。そして、日清、日露という戦争を通じて日本が朝鮮侵略を進めた歴史が話されました。会場には上丸さんも来ておられたので、私は、「いい連載だったけれど、五回で終わったのは残念」とからかったのですが、上丸さんは「まあ、あれはあのぐらいで。今度、三・一独立運動のことを書きますから」と言っておられました。三・一独立運動も今年、一〇〇年。日本人は、こうした朝鮮の歴史を知らなすぎます。朝日新聞にいい記事が出たらいいな、と思っています。
 会の終了後、中塚先生にお連れ合いのこと伺ってみましたら、「もう歩くことができなくなり、私では介護できず施設に入りました」ということでした。お連れ合いの足が悪くなったのは、外反母趾からだそうで、私の足をご覧になって「あなたも用心しなさいよ」と言われてしまいました。靴を履いていても私の足、外反母趾と分かりますので。先生はそれで一人暮らし。料理も洗濯も一人でなさるそうです。
でも、東京まで来るのはこれが最後かもしれないが、と先生は言っておられました。もう八十九歳ですものね。よく頑張られます。脱帽です。
 先生の専門の日韓の話ばかりしてしまいましたが、先生と知り合いになりましたのは、実は「原爆」からなのです。一九八五年、私の『広島第二県女二年西組』が出版された年の暮れ。新聞で、識者を集めて「今年の三冊」と言った企画がよくありますが、それに中塚先生が、私の『広島第二県女二年西組』を取り上げてくださり、この中に登場する少女・玖村佳代子さんのお兄さんが、中塚先生が楽長である奈良女子大の付属高校の教頭、ということが書いてあり、私は驚いて、先生に手紙を差し上げたのですが、折り返し来たお返事に、残念なことに玖村先生は急逝されたとあり、本当にびっくりしました。それからいろいろあり、玖村由紀夫先生の追悼文集もいただいたのですが、玖村先生は大変教育熱心な数学の先生。若い頃から八月六日に水を求めて死んだ原爆の死者のことを偲び、この日は一滴の水も飲まなかった、などという話が書いてあり驚きました。こんなことで、中塚先生とその後の長いご縁ができたのです。
 原爆関係では、九日に、例の竹内良男先生の会で、川本隆史さん(国際基督教大学教授)の「記憶と忘却」という話を伺いました。ヒバクシャの記憶継承が大いに言われる(推奨される)世の中ですが、忘却(特に日本御加害の歴史など)の問題など問題提起され、「広島学」がなぜできないか、など鋭い問題提起がありましたが、この問題、簡単に言えることでもありませんので、今回はこんな話があったというだけにしておきます。とにかく若い(この方は一九五一年生まれ、広島学院など戦後できた名門校から東大を出た方です)方の視点は面白いし、竹内さんがこうした方と親交を結び、彼の講座に引っ張り出してこられるのにも、敬意を持っています。
 二月一七日は、調布市の大河みと子さんという市民派市議の方の勉強会に行きました。この日私に求められたテーマは「戦争中の暮らし」で、戦争の中で庶民の生活がいかに苦しくなっていったか、自分の記憶を重ねながら、女性の歴史とあわせて少し話しました。
 大河さんのおすすめでン原爆のことも少し話させていただきました。ヒバクシャにももちろんいろいろな方がいらして、特に広島は保守的なところですが、核兵器だけはごめんだと思っていることはみな一致しているということは強調しました。安倍さんは「核の壁、核の抑止力論者」ですが、北朝鮮との話し合いを「評価」して、ノーベル賞にトランプ氏を推すなど噴飯ものと言いますと、皆さん全員、同感と怒っておられました。まったく、安倍さん何を考えているのやら、です。
 そんなときですが、朝日新聞のこちらの地方版に、もと「天声人語」氏、故辰濃和男さんの蔵書で、「辰濃文庫」ができたという記事を見ました。辰濃さんは蔵書家で2万冊の本で玄関の扉も締まりにくくなっていたそうで、知り合いの建築家佐藤清さんが家の補強をされたそうですが、その佐藤さんが、辰濃さんの家が処分されると聞き、遺族から蔵書のうち約一万冊をもらい、ご自分の家の蔵を改造、文庫にしたのだそうです。場所は埼玉県の東松山市、我が家からは遠い遠いところですが、丸木美術館のある街です。一度行ってみようと思っています。
 実は、今度出ます「対話随想」に辰濃さんのことを書いていますし、出来上がったら、お連れ合いに本を送ろうかと考えていたのですが、佐藤さんに電話して聞いてみたところ、辰濃さんの小金井のお宅はもう取り壊されて空き地になっており、お連れ合いは老人施設に入っておられるとのこと(息子さんたちはもともと別の場所に住んでおられます)。もし、この記事が出なければ、誰もいない空き地に本がおくられ、むなしく帰って来るところでした。不思議なことに思えました。我らの「対話随想」が無事出版できましたら、この文庫に行き、辰濃さんに捧げたいと思います。
 これまた不思議なことですが、中塚明さんが私の「第二県女」を知ってくださったのが、辰濃さんの「天声人語」を読んだからです。それで.本を購入され、玖村という珍しい名前に目を止められたのが、始まりでした。中山さんがよく言われる「縁」と「伏流水」を感じております。
 それから前の号でお話いたしました、松本昌次さんのこと、「偲ぶ会」でなく、「語る会」が四月六日に開かれることになりました。ご本人が「お別れ会も偲ぶ会もやってほしくない、ただ、僕を肴に考えたり批判したりするのは一向にかまわない」と言っておられたのだそうです。これもいい会になるかと思います。すぐれた先輩、同時代の方々、その妥協しない奥の深い精神を継承したいと思います。
 

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