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バルタンの呟き №50 [雑木林の四季]

つぶやいてはや50回

               映画監督  飯島敏宏

気がつけば、この呟きも、もう、50回にもなるのには、驚きました。

光陰矢のごとし、といいますが、86歳の僕にとっては、近頃の時間のたち方は、矢どころか、音速を遙かに超えて、光速に迫るのではないかと感じられてなりません。毎夜、床に就く少し前に、一日中肌身を離すことのない携帯(やっとガラ携卒業)を充電するのが習慣になっているのですが、近頃のリチウム電池発火事故多発警告に則って、充電台に置きっぱなしにせず、端子に繋いで充電するのです。近頃、その時に、「はて・・・」と、ついさっき、この作業を行ったような気がすることが再々なのです。「いや・・・たしかに」昨日のことだった、と思い出すのに、さほど時間が掛かるわけではありませんが、(時間が掛かるようになっては、大変です)その度に、一日の経過がこんなに早いのか、と思い、さて、この一日に何を成し遂げたかと自省して、実に情けない気持ちに囚われてしまうのです。

思えば、僕たちがこどもの頃の、昭和一桁生まれの僕たちの子供の頃の下校後から夕ぐれ夕暮れまでの時間の充実していたこと。部活だ、塾だ、と深夜まで追い回されている、今の子供たちのそれに比べて、衣食ははるかに貧しいながらも、本当に自由で、充実していたものです。学校から帰るなり、親から、「宿題忘れるんじゃないよ!」の声が掛かるのを尻目に、ランドセルを放り出して家を飛び出し、何々ちゃんと約束していた、表通りでの三角ベース野球に駆けつけたり、(なんと、大通りに、自動車が走ることなどが、稀だったのです!)、わざわざ本郷から、上野を通り越して尾久駅近くの陸橋まで、自転車の三角乗りで遠征して、橋下を通りぬける、蒸気機関車が吐き出す煙の匂いをかぎに行ったり大大名家敷名残の漆喰とレンガの塀を乗り越えて帝大(東大)構内に侵入して、三四郎池で釣糸を垂れて園丁(警備員)に追いかけられたり、ワルといっしょに、下校路で待ち伏せして、隣りのお坊ちゃん学校のやわな連中をからかったり(撲ったり)、眼を付けた女子のスカートをめくって泣かせたり、?石(石のチョーク)でグーパーじゃん跳び(地面に○と○○を順に並べて書いてジャンケンして、グーで勝てばグリコで三つ、パーは、パイナップルで六つ、チョキで勝てば、チヨコレイトと六つ跳んで、ゴールを競う)、何処行き(その○に、近くの場所たとえばクスリや、八百屋、教会、トモ子ちゃんち、などと行き先を書き、それぞれ?石を投げて止まった場所へ走って、戻りの速さを競う)、しなりのいい篠竹竿の先に鳥もち(鳥などの捕獲に使うねばねばの樹脂ゴム)を塗り付けて振るヤンマとんぼ釣りなどなど・・・ああ、書きならべているうちに、恍惚と懐かしさが沸き上がって来るような、時間・・・やがて、西の空があかあかと、燃える頃、各家から、母親や、お祖母さん、姉さん、女中(お手伝い)さんが、「ご飯だよ!」と、引っ立てに来るまで・・・の充実した時間。そう、僕たちの町内では、塾と言えばそろばん塾、むしろ勉強に遅れがちな子が行く補習塾しかなかったし、子供たちは、のびのびと、「よくあそび、よくまなび」していたのです。

小学校一年生の、すでに教科書には、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」だの「キグチコヘイハ シンデモ ラッパヲ ハナシマセンデシタ」(鼓兵=ラッパ手)などとありましたが、戰爭というものは、「ココハ オクニヲ サンビャクリ ハナレテ・・・ 」遠い遠い満州(中国の一部)というところで、お国のために、泥水すすり、草を噛み、命を捧げている、ものだったのです。「ぼうやは、何になりたい」と聞かれれば、おうむ返しに、「兵隊さん」、「お嬢ちゃんは」と尋ねられれば、どの女の子も「看護婦さん」と答えてはいたものの、それらはすべて絵本の中で、実感はまるでなく、赤い夕陽に照らされて、「友は、野末の石の、下」が、何を意味していたのかも分からずに、「〓トーモワ ノズエノ イシノシタ―」と歌いながら、泥だらけの尻当て付きのズボンを叩きながら、家路についたのです。まだまだ「居候、三杯目には、そっと出し」などと訳知り顔でおぼえた川柳を口にしながら、「はい!おかわり!」と、すくなくとも三杯、卵かけご飯だと、最後の一杯におみおつけ(味噌汁)をざぶっ、とかけて、掻っ込んで、「ごちそうさまあ!」とひっくりかえる。家族みんながお膳を囲んでいる四畳半の茶の間には、ラジオから、廣澤虎造の渋い声の浪花節「森の石松・三十石船」が、「おめえさん江戸っ子だってねえ、さ、食いねえ食いねえ・・」と流れていたり、お湯(風呂)からあがって、けんかして、四人兄弟雑居で、重ね餅(敷き切れない布団を一部重ねる)で寝る子供部屋のラジオで、明智小五郎と少年探偵団が活躍する徳川無声の不気味な「怪人二十面相」になると、意地の悪い兄貴が、パッと、電気を暗くしたり・・・ああ、昔、小学生だったころの僕たちにとっては、光陰が、亀の歩み、のごとくだったのではあるまいか・・・貧しくはあったけれども、それぞれの丈にあった幸せの内に過ごしていたわが町の時間、だったのです。

でも、そのあとに待ち受けていたのは、思い出したくもない、あの、大東亜新秩序という、貧国の野望が齎した、昭和戰爭でした・・・

昭和天皇が犯した過ちを、一代賭けて、償おうと試通した平成天皇と、富裕な市井に生を受けながら、求められて皇后としての一生を捧げた皇后の、退位決定後の伝えられる緩やかな近況に、ふと、むしろ天皇崇拝者ではない僕らまでが安堵感を抱くのは、少なくとも、一度限りの人間としての生命を、与えられた使命のために果たしたあのお二人の平成時代には、自然的、人為的災害は多々あったにしても、戰爭だけはなかった、という救いがあったと思うからのことです。

「時間よ、とまれ!」

まだまだ踊り続けたいなどと欲深な雀のような僕の残り時間願望はともかくとして、あのお二人の残り時間には、同時代を過ごした生命の一人として、そう、祈りたい気がするのですが・・・

併せて、間もなく始まる次の元号の時代が、戰爭を経験した事のない、まったく知らない世代が、その幸福を自ら捨ててしまうような方向にこの世の中をミスリードしてしまうことがないことを祈って、いましばし呟き続けたいと思いながら、今夜も、充電の端末を繋ぐところです・・・


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