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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い!」 №2 [文芸美術の森]

シリーズ≪琳派の魅力≫

             美術ジャーナリスト 斎藤陽一

          第2回:  俵屋宗達「風神雷神図屏風」 その1
  (17世紀。二曲一双。各155×170cm。国宝。京都・建仁寺所蔵。)

琳派2-1.jpg

≪「風神雷神図」~型破りの形式≫

 「琳派」のことを語るとなると、トップバッターとして俵屋宗達の「風神雷神図屏風」をあげるのに、おそらく誰も異存はないでしょう。この屏風絵は、それほどの魅力と独創性をもった絵画なのです。

 とは言え、俵屋宗達は謎の多い絵師であり、生没年も分からず、その生涯についての資料もほとんどありません。本阿弥光悦(1558~1637)という、比較的その生涯をたどりやすい人物の周辺にいて、時には一緒に仕事をしたこともありますから、桃山時代から江戸時代初期にかけて京都で活動した絵師であることが推定できます。

 その上、今日、「俵屋宗達・作」とされている作品には落款がないものも多い。にもかかわらず、それらの作品には、それまでに類例のない斬新な造形と独創的な表現が見られます。言わば、そこには、宗達という絵師の“造形上の個性”がくっきりと刻印されており、それは「宗達作」としか言いようのないものなので、「宗達の作品」とされるのです。「風神雷神図」もそのような作品のひとつです。

 「風神雷神図」は“二曲一双”の屏風絵です。
それまでの屏風は、“六曲一双”か“八曲一双”が基本とされてきました。そこに絵師たちは、右から左にかけて季節や時間が推移するかたちで、さまざまな花鳥風月や風俗を描いてきた。だから、宗達が採った“二曲一双”という形式は、思い切った省略であり、それまでに例のない屏風形式でした。

琳派2-2.jpg 宗達がそこに描いたのは、「風神」と「雷神」というたった二つのモチーフだけ。しかもそれを左右の端っこに配置しました。
それどころか、大胆なトリミングによって、風神の天衣は画面の端で切れ、雷神の連鼓も画面の外に追いやられています。
ここには、すべてを行儀良く画面内に収めようと言う意識はありません。
私に日本美術の面白さを教えてくれた美術史家の一人、山下裕二氏のユニークな表現によれば「乱暴力」なるもの、これも、“宗達的個性”のひとつです。
(山下氏は、「雪舟」の大胆な構成力やそれを支える強い筆力について、「乱暴力」という言葉を使っているのですが、宗達絵画の、先例にこだわらない大胆で力強い表現にもあてはまる言葉だと思います。)

この絵には、風神・雷神のほかは、何も描かれていません。背景は金地のみ。見かけ上、極めて単純な構図です。しかし、見かけにだまされて、素通りしてはならない。
この屏風の前にたたずみ、じっくりと眺めていると、二曲一双という型破りの形式と、モチーフを絞り切ったこの単純さこそ、風神と雷神それぞれの存在感を強調し、しかも、二つの個性的なモチーフが対峙するときに生じる“インパクト”を表現するものなのだ、ということに気づきます。
 この、簡潔な「二物衝撃」というスタイルは、その後の日本美術にも継承され、現代作家たちもその水脈からひそやかに養分を汲み取っているものです。展覧会などで発見していただきたい。


≪主役に躍り出た風神雷神≫

 もう少し、眺めて見ましょう。
 この屏風に描かれているのは、右隻の端に「風神」、左隻の端に「雷神」だけ。それだけに、この二つの神が金地にくっきりと浮かび上がってくるような印象が与えられます。
 実は、風神と雷神だけを“画面の主役”として描いたのも、宗達の独創と言われます。

 元来、風神も雷神も、湿潤で多雨、四季おりおりに様々な風が吹く日本の自然現象を神格化したものでした。
琳派2-3.jpg 風も雨も、時に荒れ狂うと人間に災厄をもたらしますが、一方では豊かな恵みをもたらすものでもあり、これを畏れ、敬う心が風神、雷神となりました。つまり、仏教伝来以前のはるか昔から日本に根づいていた自然信仰が生み出した「やおよろずの神々」のひとつです。
 ところが、仏教定着とともに、日本の神々も仏教体系の中に組み込まれ、風神・雷神は“観世音菩薩の侍者”という位置づけとなりました。
 たとえば、京都の三十三間堂にはたくさんの観音像が安置されていますが、風神と雷神は、本尊の千手観音の脇侍として、広い堂内の端っこに置かれていて、何とも目立たない存在です。おそらく宗達も、この片隅にある風神・雷神像を見たことでしょう。
 ところが宗達は、この二神を画面の「主役」に仕立ててしまったのです。

 それどころか、宗達が描いたこの「風神・雷神」からは、恐ろしい自然神というよりも、どこか人間的で、何とも言えない飄逸な味わいが感じられます。明るい哄笑さえ聞こえてきそう。
この屈託のない闊達さというものは、おそらく宗達自身の人間性から来ているものと思われます。
と同時に、戦国大名たちが群雄割拠して戦った戦乱の世が終わり、信長、秀吉といった天下人が登場した桃山時代の気分を反映しているようなところも感じられます。
 
 このように、俵屋宗達は、伝統的な素材を借りながら、まったく新しいものに作り変えたり、自由に造形してしまうという絵師でした。「風神雷神図」は、たんなる「仏画」を超えた、宗達のそのような個性が刻印された「絵画表現」ともいうべき作品なのです。

 次回では、この「風神雷神図」の構図を分析していきたいと思います。
                                                                  (次号へ続く)

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片岡 朋子

いつも西洋美術史の講座を楽しみに受講させて頂いております。
この文化教養マガジンで「日本美術は面白い」のシリーズが始まり
とてもうれしく興味深く拝読させて頂きます。
あらためて西洋美術に影響を与えた日本の美意識を再確認して勉強
させて頂きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
by 片岡 朋子 (2019-01-17 14:21) 

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