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浜田山通信 №226 [雑木林の四季]

熊倉不動産会長と安藤二葉屋煙草店主の死

                     ジャーナリスト  野村勝美

 浜田山の最長老が亡くなった。駅前の熊倉不動産会長熊倉敬善さん89歳。戦前から父親が駅前に不動産店を構え、畠だらけだった浜田山を開発した功労者だった。光江夫人は高井戸の大地主内藤一族の出で、実家はいまもゴルフ練習場とショートホールのコースを持っている。熊倉さんは数年前から脚が弱り、このところ久我山病院に入院加療中だったが、亡くなる前日、「家に帰りたい」といって帰宅、翌9月24日朝6時5分に逝去された。実は私と同年である。もう一人浜田山の大地主、安藤和夫さんも同学年で、私が心筋梗塞で慈恵医大に緊急搬送された時、安藤さんは脳梗塞で入院し、いまも元気にしている。身分違いは昔でいえば地主と小作、大家と借家人だが、この年になるとなんとなく平等のようなものだ。他人様にはもういつ死んでもいいなんて悟ったようなことをいうが、実際はいつまでたっても心細いものです。私たち3人が浜田山の男では一番の年寄りだった。
 その安藤さんの甥に当たる安藤延次さんが9月18日、長患いの末69歳の若さで亡くなった。延次さんは、和夫さんの姉さんの長男で10数年前から足腰が弱くなり、最近は車イスになっていた。熊倉不動産と井の頭線をはさんで南に二葉屋菓子店を開き、中村屋の菓子などを売っていた。病気後は奥さんが店頭で煙草を売り、奥の方と2階は貸店にした。もう50年近くも昔、出火して延次さんの母が焼死するという不幸があったが、お母さん名義の土地がいまの西友の東側にあり、つい最近駐車場をやめておしゃれなマンションを建てたばかりだった。
 煙草店の奥の方に蟹江医院がはいっているが、この蟹江先生は私の命の恩人である。30数年前私は朝食後強烈な胃痛に見舞われた。近くの救急病院横島病院にかけ込んだ。私の妻の友人だった人の夫が同病院の内科医だったので診察してもらったのだが、腹診、レントゲン、何をやっても病気がわからない。夕刻になって外科医が来てすぐ盲腸と診断、手術。「くせえなあ」と看護婦に冗談をいうのをうつつに聞きながら気が付いた時は真夜中だった。この外科医が蟹江医師で、内科医はその弟だった。のちに「もっと重大な病気を考えていたものですから」と弁解されたが、緊急入院でも運不運がある。医院開業に気付いた時、一度あの時のお礼に伺わねばと思いながらそのままになっている。せまい世間にはいろんなつながりがあるものだ。
 安藤さんが亡くなった日、私のマンションから100メートルも離れていない高井戸東3丁目の住宅で殺人事件があった。午後4時45分頃でTVでも字幕ニュースが流れたが、翌朝の新聞は読売だけが2段、他はベタ記事。浜田山での殺人事件は記憶にない。私が社会部記者だった昭和30年代は殺しといえば大騒ぎだったのだが、最近は犯人も被害者も住所も掲載しない。親族の男(50)が女性(58)の首を刃物で切りつけ現行犯逮捕したというだけで、実名も動機もなし。親族内のできごとだと一般には関係ないということかもしれないが、近頃おかしな事件が多すぎる。

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