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論語 №27 [心の小径]

六三 子、魯(ろ)の大師(たいし)に楽(がく)を語(つ)げてのたまわく、楽はそれ知るべきなり、始め作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり、これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり、以て成る。

                                       法学者  穂積重遠

 「大師」は楽官の長。「たいし」とよむ。「だいし」だと弘法様になる。「翕」は合、「純」は和、「皦」は明、「繹」は聯(れん)、そして「如」は然と同じ。「従」は縦と同じ、思うままに十分な音を出すこと。

 孔子様が魯の楽長に音楽論をしておっしゃるよう、「音楽には一定の型がある。演奏の始めに諸楽器の音が揃(そろ)って出るが、演じ進んで十分に調子を張ると、すべての音が調和して一音となり、しかも各楽器の音が明らかにきこえて互いに消し合わない。そして連続して絶ゆることなく終節に至るのじゃ。」

 孔子様はけっしてコチコチの道学先生ではなく、いっぱしの音楽理論家であり、音楽鑑賞家であり、また音楽実演者であったことは、だんだんと出てくる。何しろ本職をつかまえて音楽論をされるのだから、大したものだ。そしてその議論が西洋音楽シンフォニー論、ソナタ形式論のおもむきがあるではないか。

六四 儀(ぎ)の封人(ほうじん)見(まみ)えんことを請(こ)いていわく、君子のここに至るや、われ未だかって見ゆることを得ずんばあらずと、従者これを見えしむ。出でていわく、二三子(にさんし)何ぞ喪(うしな)うことを患(うれ)えんや。天下道なきや久し。天まさに夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為(な)さんとす。

 「木鐸」は金口木舌のベルであって、文事(ぶんじ)のおふれを出すときに振る。武事(ぶじ)には金口金舌の「金鐸」だという。「木鐸」と言ったところに特に意味がある。

 孔子様が衛(えい)の国を去ろうとして、国境の儀の町にとまったとき、関守(せきもり)の役人がおめにかかりたいと申し出て、「諸名士がここを通られるとき、私はいつもお目にかからせていただいています。」と言ったので、お供の門人たちが孔子様のお部屋に通した。やがて出て来て言うよう、「諸君は、先生が今志を得ずしてこの国を去られるとて、何も悲観することはありませんぞ。今や道悪に落ちて天下乱るること久しいので、天が先生を一国にとどめずして四方を周遊せしめ、大いに文教を振興する木鐸ならしめようとするのです。」

 孔子様は別として門人たちは、どこへ行ってもお払箱をくうので、おそらくくさっていたのだろう。ところがこの封人は孔子様にお目にかかって大いに敬服し、君たちの先生は天の大使命を負っていられるのですぞ、諸君も元気を出してシツカリしなさい、と門人たちを激励したのである。「天下をねらう大伴の黒主」ではないが、「儀の封人」なる者、ただの関守ではなさそうだ。

六五 子、韶(しょう)を謂(い)う。美を尽せり、また善を尽せり。武を謂う。美を尽せり、未(いま)だ善を尽さず。

 「韶」は舜の音楽。舜は譲りを受けて天下を得たので、その音楽には平和の気がみなぎっている。「武」は周の武王の音楽。武王は武力で天下を得たので、その音楽には壮大の中に殺伐(さつばつ)の気を含んでいる。

 孔子様が舜の音楽「韶」を評して、「美を尽しまた善を尽せるかな」と言われた。ま た周の武王の音楽「武」を評して、「美を尽しているがまだ善を尽しておらぬ」 と言われた。
                                        
 孔子様は、舜には満点を与えたが、武王の「臣として君を伐(う)」ったことに釈然(しゃくぜん)たらざるものがあったので、両者の音楽にも「美にして善なり」の感じと「美なれども善ならず」の感じとをもたれたのである。孔子様が芸術の基礎に道徳を置く考え方とその平和主義とがあらわれている。

『新薬論語』 講談社学術文庫


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