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ロワール紀行 №50 [雑木林の四季]

美しいシャンボールの城塞 3

                            スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎 

  しかし、ここに注目すべきものは、イタリアン・ルネッサンスとフランス・ルネッサンスの経済的背景の、大きな相違である。
 一言にして尽せば、イタリアン・ルネッサンスは、フィレンツェの大銀行家メディチ家の人々の理解と情熱と財力によって、生成し発展した。
 これに比し、フランス・ルネッサンスは、フランソワ一世という絶対主義君主の、理解と意志によったことである。しかし、国王とて万能の金力を有するものではない。
 フランソワ一世時代、フランス王国の国庫収入は、年に三〇〇万リィヴルだったという。
 それは、欧州一の富有を謳われたメディチ家が、二、三の取引から得る金額であった。
 その財力において王侯といえど、一銀行家に敵すべくもなかったという事実。それはまた重商主義と重農主義における、資本の回転効率の懸隔(けんかく)を示すものでもあろう。これは注目されなければならない。
 相次ぐイタリア戦争と芸術奨励のため、フランソワ一世は財政的に因窮していた。
 彼の現金払いより、フッガァやメディチの振出す手形の方が、造かに信用があったという。フランスやドイツの多くの中小金融資本家が、王に融通していた。一五五四年当時、彼等は二割六分の高利で、フランソワ一世に金を貸している。しかし、この程度の金融業者の寄せ集めの財力では、とうていメディチ家の九牛の一毛にすぎなかった。
 しかも王は高利を払い、一方はその高利により莫大な利潤を得ていることに思い至れば、そこに自ずとフランス・ルネッサンスの規模が定まるであろう。
 ロワールやパリを歩き、フィレンツェを訪れると、その富において、宮殿や伽藍(パジリカ)や町の規模と壮麗さにおいて、中世における比は、片田舎と大都会の差があったことがよく分かる。それほど、フィレンツェは富んでいた。イタリアン・ルネッサンスとフランス・ルネッサンスは、パトロナイズした人の面から見て、ヨオロッパ屈指の大銀行家と、財力乏しき一国王との比較でもある。さらにそれに基づく規模の大小と、その貧富の深浅について、私はより深い興味を覚えた。
 このシャンボールのシャトオに付属する、周囲二十一哩の森林と原野は今日、国有の牧場兼狩猟用保有林としてフランス国立公園になっている。
 この城館をめぐる相続人の間で、その帰属について長いこと訴訟が続いたが、一九三二年、一、一〇〇万フランでフランス政府が買取り国有とした。
 この付近一帯は狩場として、野獣野鳥の豊富と種類の多岐で、中世以来、フランスは勿論、ヨオロッパでも名高い。鷹狩用の猟場としても、今日に残る数少ないものの一つであろう。
 鷹狩に使われる数十羽の鷹が、傍の林間で鷹匠に飼育訓練されていた。
 シャトオの建築は、一五一九年九月に始まった。設計者については異説が多い。一日平均千八百人の労働者が、十五年かかって完成したという。
 恋と狩と芸術をこよなく愛した王の身のいれようは、大変なものだったらしい。
 ロワールの多くのシャトオの中で、最も典型的で絢爛といわれる城館が生まれたのも不思議ではない。
 アムボワーのロォジィ・デュ・ロワをへて、プロワのフランソワ一世の翼部に咲き始めたフランス・ルネッサンスの花は、ここに咲き乱れ実を結んだ。
 フランソワ一世が、この城館を建て始めた時、僅か二十五歳であった。ルネッサンス時代の王は、まことに気宇宏大、希望と夢に燃えていたことが想像される。このレイ・アウトの広大無辺さは、中世のフランス建築にはまだ見られなかったもので、イタリアの影響だといわれる。

『ロワール紀行』 経済往来社


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