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私の葡萄酒遍歴 №39 [雑木林の四季]

チリワインの歴史

                                  ワイン・グルマン  河野 昭

16世紀・口・教会による葡萄栽培
南米大陸におけるワイン造りの歴史は、16世紀、スペインの征服者と共に渡つて来たカトリック宣教師の手によつて、葡萄の苗木が持ち込まれたのがその始まりである。
17世紀に入つて、スペイン王室は本国でのワイン生産とその貿易の利益を保護するため、新大陸での葡萄の新植を禁止した。しかし、この法律は殆ど実行されることはなかつた。チリにおけるブドウ栽培はスペイン本国の意向を無視するような形で、拡大の一途を辿り、チリは新大陸に於ける最初で、最大のワイン産地となつていつた。この時期、スペインから持ち込まれたブドウの品種はパイス(別名:ミッションーMission)。
乾燥に耐え灌漑を必要としないことと、病虫害にも強く、丈夫な品種であつたため多くの場所で栽培され、5世紀近く経った現在でも中央渓谷では広く栽培されていて、蒸留酒・PISCO(ピスコ)の原料となつている。

19世紀・・・フランス系品種の導入と酸造専門家の渡来
スペインからの独立(1818年)直後の19世紀、チリのワイン造りに革命的な変化が訪れる。その一つが、フランス系品種の導入であるが、それに続く、醸造専門家の渡来も重要な要因である。

フランス系品種の導入
チリにフランス系葡萄品種を最初に持ち込んだのは、諸説あるが、一般的には、鉱業・農業で成功を収めた実業家、シルベストレ。オチャガビーアだと言われている。
カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シラー、ピノ・ノワール、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、リースリングなど、現在もチリのワイン造りを支える主要な品種は、この時期に持ち込まれた苗木を祖先としている。これらの品種は、チリの気候風土に根付き、多くの実業家や大地主がワイン作りに参入するきつかけとなった。コンチャ・イ・トロ、サンタ・リタ、サン・ペドロなど、現在もチリのワイン業界をリードする大手ワイナリーはこの頃に生まれている。
19世紀初期から中期に掛けて、ボルドーのメドックの著名葡萄園が、ロスチャイルドなど国際金融財閥等に次々の買収され、壮麗なシャトーが建設されていた。葡萄園を営むことは社会的名誉の一つであつたから、その影響がチリにも及び、裕福な大地主や実業家がこぞって、社会的名声を追い求め葡萄園を営み、フランスのシャトーを模した、
訪問者をもてなすためのサロンや広い庭園のある邸宅を造営した。チリの大手ワイナリーはその名に、創設者ないしその配偶者の名前が使われているのもその表れであろう。

醸造専門家の渡来
19世紀後半、フランスからワイン醸造の専門家がチリを始めとする新大陸に多数渡つて来た。その背景には、19世紀半ばにヨーロッパの産地を襲つたフィロキセラの発生が大きく関係している。
フィロキセラはブドウの木の根を傷めるアブラムシの一種で、ヨーロッパ系の品種はこの害虫に全く耐性が無かったため、フランスを含め当時のヨーロッパの主要ワイン産地はほぼ全滅という状況にまで追い込まれてしまった。自国で職を失つた専門家の多くが、まだフィロキセラの被害にみまわれていない新大陸の産地へと渡つて来たのである。
チリは地形的に害虫の侵入を受けにくく、現在に至るまでフィロキセラの被害に遭つていない世界における唯一の国である。フィロキセラに侵されたヨーロッパは、耐性のあるアメリカ系品種の台木にヨーロッパ系品種を接木するという方法で再生をはたすのであるが、フィロキセラ以前に苗木が持ち込まれたチリでは、今でもヨーロッパ系品種のブドウが自根で栽培されている。
1887年には、チリフインがヨーロッパヘ初めて輸出され、ボルドー(1882年)、リバプール(1885年)、パリ(1889年)などの博覧会で好評を博した。

20世紀・・・ワイナリーの近代化と最新技術の導入
チリのワイン造りは19世紀後半に大きく進歩を遂げたが、20世紀に入つてからは長い停滞の時期に入ることになる。その主な要因としては、1900年代初頭の酒税の増税や、1938年に施行された新アルコール法によつて葡萄の新植が禁止されたことなどが挙げられる。また、第二次世界大戦中、農業機械や醸造機械の輸入が実質的に禁止されたことも、ワイン造りの技術的進歩を阻害する要因となつた。
その後、チリのワイン業界に劇的な変化が訪れたのは、1974年。30年以上の長きに渡つて葡萄栽培を制限してきたアルコール法が撤廃された。それによつて、葡萄栽培が拡大され、ワインの増産が行われた。しかし、チリ国内のワイン消費が低迷する中でのこの急激な自由化と増産は価格の急落を生み、チリのワイン産業は存亡の危機に陥つた。
この危機が、逆に、チリのワイン産業の体質を近代化させることになり、結果として、世界へと羽ばたくための重要なきつかけとなつた。
つまり、この時期、19世紀から続く大手ワイナリーは株式会社化を本格化させた。また、新興財閥グループに組み込まれる形で経営再建を図るワイナリーもあつた。加えて、葡萄栽培地としての適性を知つた外国資本の参入も多く、地元の中小ワイナリーと共同でブティック・ワイナリーが創設されるなど、チリのフイン造りはビジネスとして著しい近代化を遂げていった。
同時に、新しい生産技術の導入も急ピッチで進み、発酵用のステンレスタンクや熟成用のオーク樽の使用が普及。その他ドリップ式灌漑システムが導入されるなど、栽培技術も進歩した。
こうしてチリフインの品質は飛躍的に向上し、「新世界フイン」の一角として世界中の注目を集めるようになつていった。
1990年代以降、チリワインは年々海外市場でのシェアを拡大し、輸出先国も90ヵ国以上と目覚ましい成長を遂げた。わずか10数年で、ワインはチリを代表する輸出品(6億ドル)のひとつにまでになった。
特に近年では比較的安価なテーブル・フインのみでなく、国際的なワインコンクールで高く評価されるようなプレミアム。ワインの生産が積極的に行われ、毎年のように有機農法を始めとする新たな試みが行われている。


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