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地球千鳥足 №96  [雑木林の四季]

アルメニアで出会いジョージアで別れイランで再会、大歓待の日々~イラン・イスラム共和国~

                                        グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
                                       
ドカン、ズドンに怖れつつ
 

 出発前世界の諸々で爆破があり、人混みは避けるとか日本語を使わない等、心の準備をして出かけた。旅行者もイスラムの戒律に従わねばならないが男性には制約少なく女性にはドレスコードが細かい。筆者もベールを被り袖は手首一杯、ズボンは足首まで隠す服装にテヘラン到着前着替えた。アミールが空港に来ていて驚いた。

純情青年一族の歓迎攻めと涙の別れ 

 イランの青年、アミールとは5年前コーカサス地方、アルメニアの長距離バス乗り場で会い、ジョージアへの国境越えバス車中で親しくなり、到着した首都、トビリシで一緒に安ホテルを探し、ネストという民宿で2泊しただけの関係だ。我々が先に宿を発つことになり、彼が不在だったので彼に簡単な弁当と手紙を残した。その後フェイスブックの友達にはなったが大したやり取りも無かった。今回「イランに行くよ!」と連絡したらなんと彼の住むハマダンからテヘランへ350km運転して迎えに出てくれ、往復700キロ、7時間以上運転してハマダンへ。「My home is your home! 泊ってくれればとても幸せ!」と言い張った。着いた日から3日間、若い友人たちと一緒に文化の首都、ハマダン市内や郊外へ案内をし、世界遺産のあるケルマンシャーへの200キロ往復運転もしてくれた。アミールの両親1族や夫人マシードの両親1族の歓迎饗宴、暑い国ゆえ夕食は夜10時頃から、就寝は午前1時という日々で、問題と言えば寝る時間が無かったことぐらい。特筆すべきはマシードの妹、マヌーシュの大学の1講座でスピーチを頼まれたこと。自己紹介と多文化共生について1時間、教官も学生も真剣に聞いてくれた。
 過去約115か国訪問で親切には色々会ったがこんな親切漬けは初めてだ。なぜ?と問うたら1枚の紙を見せてくれた。「アルメニアで貴女が残した置き手紙覚えていますか?」「いいえ」「これです。なくすといけないのでコピーも取って眺めてきました」。私の筆跡だった。「会えて嬉しかった!どうぞいつでも東京へ来て私宅に泊まってください」という簡単なものだった。彼曰く、「貴女がた夫婦の温かさを感じ、日本人を大好きになりました」と。アミール夫婦の両親、親族は裁判所の判事や銀行員等、皆知識人で英語を話す。3日目の深夜、抱え切れぬほどのお土産を頂き、イスファハンに向かう長距離バス停で見送られた。マシードやマヌーシュは涙を拭って別れを惜しんでくれ、後ろ髪で眠れぬ夜行バスだった。

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   アミールの両親一族の歓待 (アミールは写真係なので不在。右端がマシード)

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           マシードの両親一家の歓待・マシードの父(サタン)は判事さん

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                          アミールとマシード

世界遺産だらけのエスファハン 

 バスは早朝エスファハンに着いた。すぐにエマーム広場へ。アッバース1世の命で1598年から何十年もかかって出来た世界遺産だ。道端で「自分の車でお連れしましょう!」と言う若者が車のドアを開け招いた。人々は親日的で親切だが用心して断った。深夜に及ぶ歓待と夜行バスで4晩殆んど寝ていないシニア夫婦、「よく早朝から動くものだ!」と自賛しつつ歩いた。広場に面したマスジェデ・エマームはイスラム芸術の集大成と言われ、イスラム教徒でなくとも圧倒される芸術的建立物で世界遺産。ご存知、礼拝堂の丸屋根を内側から見上げるとその緻密な芸術に圧倒される。マスジェデ・ジャーメもイラン寺院建築の粋を集めた世界遺産。アーリー・ガープ宮殿も世界遺産、バルコニーに池があり王さまがポロ観戦を楽しんだ眼下の眺望には溜め息が出た。

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世界遺産、エマーム広場、別名ナグシェ・ジャハーン広場。

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                             マスジェデ・エマーム

 (アメリカ、Angle Press. Inc.発行、Weekly Jangle第246回、「アルメニアで出会いジョージアで別れイランで再会、大歓待の日々~イラン・イスラム共和国~」に修正を加えたもの)


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