SSブログ

地球千鳥足 №94   [雑木林の四季]

音楽の町へセンチメンタル・ジャーニー~アメリカ合衆国~

                        グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子

 ナッシュビルはカントリーミュージックで知られる世界的な音楽の街だ。一世を風靡したエルビス・プレスリーはその代表格で、25年前に訪れた邸宅の庭の自家用機B727を思い出す。今回はメンフィスは避け、ナッシュビル周辺の探索で我慢した。歳月は記憶など維持してくれない。街は過去を一新してしまいイベント場所や建築物の広さ、斬新さはユニークで度肝を抜くものだった。シティー・ミュジックセンターは1週間の開演期間、72000人のチケット完売との盛況状況だった。日替わり会場も多くの若者が詰めかけての行列、音楽陶酔希求は格別なもののようだ。かつてのストック・ヤード街の賑わいはどこに消えたのか。グランド・オーレ・オプリは郊外へ。総合イベント会場の一環として存在し群衆を吸収していた。カントリーミュージック発展の歴史を見せつけられた思いだった。

94-1.JPG

                    有名なグランド・オーレ・オプリ正面

94-2.JPG

            翌日からのFAN FAIR を控えたダウンタウン・ナッシュビル

威厳を保つヴァンダービルト大学
 I-65を走っていてヴァンダービルトの看板が目に止まり、下りて大学を目指した。道路標識が9th、10thと変わる。25年前は子供たちと一緒だった。長男が9ス、10スとスだけ英語で読んだ声が突然記憶に蘇った。21thを右折してすぐヴァンダービルト大学だった。緑に囲まれた古風なレンガの建物が続く。南部のハーバードと称され、権威の誉れ高く有名人を輩出する大学だ。キャンパスも品格を感じさせる。今回は斬新な建造物も多く見られた。キャンパスでイエメンから来た留学生タレクと友達になり、「次は日本かイエメンで会いましょう!」と写真を撮りあった。25年前は年末で食事処がどこも満員、苦労した。大学正面近くに寿司屋があり、日本食なら席があろうと覗き、幸いカウンターに座れた。子どもたちと一緒の旅の懐かしい情景を思い出し、また、前回の投稿で触れた、敬愛するドクターLの医学生時代を偲ぶという満たされたセンティメンタル・ジャーニーだった。
 今回のナッシュビルは短期の旅だったが、前回のイメージは消失し、街は巨大過ぎると感じた。バンダービルト大学だけが変わらず威厳の象徴だった。ナッシュビルの夜の運転で、前回高速の入口が判らず苦労したが、この教訓を生かし、今回は不安なく感傷旅行を満喫出来た。筆者は地球上のどこに行っても溶け込め、友人が出来る。旅では当然ながら順調にいかないことも多いが、しばしば人の親切や意外性に救われ、その都度異なった醍醐味が体験できる。体験こそ財産なり。体験は自信を齎し、人生を楽しませてくれる。

94-3.JPG

                  ヴァンダービルト大学のキャンパス内

(アメリカ、Angle Press. Inc.発行、Weekly Jangle第241回、「音楽の町へセンチメンタル・ジャーニー~アメリカ合衆国~」に修正を加えたもの)。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0