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高畠学 №59 [文化としての「環境日本学」]

止まったままの時計

                                            名嘉芙美子

 初めて訪れた高畠は、二十一世紀の日本に実在する桃源郷であった。
 東京で生まれ育った私には圧倒的に感じられる豊かさが、そこにはあった。見渡す限りに囲み連なる山々、優しい田園風景。そこで呼吸をする度に、癒しという流行の言葉では表しきることのできない、何か失ったものを取り戻していくような思いがした。

 表面的には豊かに見えても心は貧しく、何かが違う、不自然なことをしていると感じながら過ごす日々だった。街へ出れば、誰かと微笑みを父わすこともなく、熱く魂をぶつけ合うこともなかった。思わず頭を垂れる、深く神聖な気持ちになることも忘れていた。少し飛躍するが、このように不安とストレスが蔓延する社会に生きていては、いくらエコが叫ばれてはいても、環境問題の改善が難航していることも無理はないとまで思ってしまう。他人や、他の生物を思いやる余裕が持てないからだ。息苦しさを、感じていた。
 高畠では、自然と人とが、優しく向き合い、共に生きていた。多くのキーパーソンを生み出し、持続可能な共生型地域社会・内発的発展の成功例を示してきた高畠の場所性には、
どのような仕組みがあるのか。
 そこに存在するのは、五感に冴え渡る自然の豊かさから発展し、人の豊かさと文化の豊かさとで回る三角ループの構造なのではないかと考えた。
 人間の五感に訴える大自然のエネルギーは人々を祈らせ、心身の健康をもたらす、そこに高畠に生きる人々の根本的な豊かさが生まれる。このような人たちが生きる社会に、豊かな文化が形成されていく。
 それは有機農業の発達や、命を耕す学校教育、浜田広介の遺した作品の数々、星寛治先生の強く心に染み入る言葉の感性、今回の合宿でお話を伺った人たちに代表される多くの
キーパーソンがこの土地から輩出されていること等に、如実に表れている。高畠で作られる栄養豊富な有機野菜は、学習能力や文化感性を上げる効果もあるという。
 草木塔にも、自然と人間の間係性が覗える。自然、へ「頂きます」と感謝し、崇拝する心を見て、その説明をきいたとき、周りの田園風景は明らかに違って見えるようになった。より感動的に、神秘的に、魅力的に心に訴えかけてきたのである。そう思っていたら、バスに戻った途端、原剛先生にずばりそれを言われてしまった。
「自然へ祈る心は、人間を豊かにする」
これらの豊かさは、高畠の人達の確固たるアイデンティティを形成し、そこで更に強い人間が作られる。
 この人間文化の豊かさが、有機農業などの共生社会を通じて再び自然へと還元されていく。そしてその自然の豊かさが、また人々の心身を豊かにする。それがまた、豊か共生社会文化を形成する。その繰り返しの輪こそが、高畠をまはろばの里と成しえた構造なのではないか。
 これは早稲田環境塾の理念とも合致する考え方である。

 早稲田環墓は、「環境」を自然、人間、文化の二要素の統合体として認識し、環境と調和した社会発展の原型を地域社会から探求する。
          (第一講座テキスト三頁より引用)

 高畠から帰ってきた後に、この環境認識の理念を読み返してみたら、この塾の第一講座に設定された土地が高畠であったことがすんなり理解できた。
 では私がこの三角構造の始まりだと考えた、五感に冴え渡る自然の豊かさとは具体的にどのようなものか。
 まず視覚から感じるものは圧倒的である。町を囲む緑は荘厳で、同時にとても優しかった。共生農業の田畑や果樹園からも、自然と生物に対する慈しみがにじみ出ていた。暗がりの中、三六〇度どこを向いても瞬いていた、蛍の灯り。澄んだ夜空に差し込む星明り。これらの風景は、まっすぐに人々の心と体に響く。
 まだある。呼吸をするたびに感じた、高畠という土地の空気の甘さ、やわらかさ。二井宿小学校に入った途端、爽やかに香った、校舎の樹のにおい。頂いたお水、米、山菜、そば、さくらんぼ、りんごジュース、お酒などは感動してしまう程の美味しさで、味覚からも高畠の豊かさを強く感じた。
 そして真夜中に響く、ウシガエルの合唱の心地よさ。
 月明かりの下、裸足で踏みしめた草地の、やわらかい夜露の感覚。石のごつごつ。ヒメボタルを捕まえて、手の平にそれがいる、ささやかな命の感触。
 地元の方々はもっともっと土と農業と高畠と触れ合って生きているのだろうと思えば、この豊かな自然を全身で受け止めることから回りだす「高畠=まはろばの里」サィクルは極めて自然で正直であることのように感じられた。
 ただ、私が見たのは現在の高畠であり、高畠とそこに生きる人々が苦難の歴史を乗り越えて今に至ることは、星さんの詩集を拝見しても明らかである。しかしこの高畠の豊かさの構造が、困難にも打ち勝つ人々と社会を作っていったことは間違いないのではないだろうか。
 話が止まらないそば打ちの先生は、深い教養があり、主張があり、確かなアイデンティティとユーモアがあった。口と一緒に動く手はキビキビと気持ちのいい働きぶりで、そばがみるみる変化していく様はまるで芸術の様であった。「このそば打ちは今まで誰一人も失敗したことがない。誰にでもできます。皆さんも、もうプロです。先生です」と惜しげなく言う明るさと優しさに、頭が下がった。
 そば教室にかけてあった大きな時計は、止まっていた。私達が泊まった資料館にかかっていた時計も、二つのうち一つは動いていなかった。
 高畠の人達は皆とても親切で、生き生きとしていた。
 最後に私事で恐縮だが、私は高畠で初めて十割そばというものを知り、その美味しさに感動した。しかし周りの方々や、帰ってから母親から聞いたところによると、一般的な十割そばとはボソボソとしたものであるらしい。
 高畠のホンモノの十割そばを最初に食べることで贅沢な舌を身につけたことを誇りに思い、これからはことあるごとにそれを自慢していこうと思っている。これも、タカバク病の症例の一つかもしれない。

『高畠学』 藤原書店


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