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高畠学 №58 [文化としての「環境日本学」]

『もののけ姫の世界で』 2

                                              関谷 智 

 映画『もののけ姫』はもうひとつ示唆を含んでいる。それは水の清らかさの意義である。映画の中ではタタリ神に呪いをかけられたアシタカの右腕の傷を癒すときに、水をかけて
いる。さらには銃で瀕死の傷を負ったアシタカをサンが運んだ先も、原始の森の湿原である。シシ神の首が飛んだ時に森を破壊したのはシシ神の体内から溢れ出た液体であった。このように水はいのちと切り離せない関係にある。澄んだ水が綺麗ないのちを育むのである。高畠の水の綺麗さは、言うまでも無い。蛙が鳴き、蛍が飛ぶ景観を作り出し、星さんや井澤校長のもとで食農教吉を受けてすくすく育つ小学生の命を育ててきたのも、山から湧き出る水である。水が綺麗であるからこそ、人の心も綺麗に透き通っているのではないか。
 澄んだ水と厚い信仰心が併存し、町全体が自然の鼓動を打つ高畠から帰った今も、私は夜になるとそわそわし始める。蛍が飛んでいないか草むらに目を凝らし、生き物の息使いを確かめようとする。だが、高層ビルのひしめく新宿や渋谷では、もちろん聞こえるはずもない。ネオンがきらめき、夜さえも眠らない町は人の影がひしめいている。高畠と対極にあるような街、新宿で我々は何が出来るのか。

 大都市は非常に便利である。農村と比べて人口やサービス、自然環境の極度の偏りが生まれており、生きていくのに必要なものはすべてと言ってよいはど簡単に手に入る。言い換えれば、大都市の中だけで生きていけるのだ。さらに大都市には非常に大きな憧れを抱かせる力がある。ライフスタイルやファッション、高性能機器からアイドルに至るまで、「フロム東京」(関西方面は知りませんが)は絶対的な力を持つ。その結果、私は、この「大都市東京」に住んでいる人たちの多くは、東京の中に住んで居さえすれば、快適な生活も享受出来、時代の流れに取り残されることはないという安心感を得ているのだと思う。そしてこの安心感は、潜在的に日本各地への視野を狭める事になっているのではないだろうか。全国紙を見て、各地の出来事を理解したと満足し、物産展で美味しいものを食べて、そこの味を味わいきったと喜ぶ。苦い味には蓋をして、美味しいと感じた味を、四七個のポケットにしまい込む。しかし、これでは本当に地方の魅力を理解したとは言えない。私は高畠に行って、高畠の士に触れ、風の音を、水の流れを聴き、おばちゃん達の笑顔と美味しい料理に満足し こぼれんばかりの星空を見た。しかし同時に、高齢化の現実や、農村の気苦労もかいま見させていただいた。私は高畠に、今の高畠を作ってきた人々のすさまじい努力の跡を見た。そして私は、そういうもの全てを含めて、高畠が大好きになった。「フロム高畠」は私にとっ・特別な価値を杓っている.
 私は今、大学生である。将来の仕事は未定であるが、やりたいことがある。それは、「東京」という圧倒的に濃いブランドに対して、地方の魅力がぎゅうぎゅうに詰まった濃いミルクを注ぎ込むことだ。もっともっと東京の人間に、他方の魅力を知ってもらう。実際にその場に行って、考えるのではなく感じてもらう。そんな体験が、一人ひとりの中にブランドをつくり、気づいたらいつのまにか東京中でブレンドコーヒーが出来ている、そんなことをしてみたい。東京の人々が、自分のなかにブランドを持って、もっと地方に目を向けることが、地方の自然や文化伝統を破壊する関わりなく、実は地方に支えられて生きて居るのだという感謝の心をもって関わっていけることにつながるのではないか
 地方からの魅力の発信は、人口、環境問題、福祉の問題への一の有効なアプローチの方法であると思う。私は高畠に行って、こんなことを感じ、また畠に帰りたいと願っている。今度はどんな魅力を東京ににしょっていけるか、わくわくしながら。

『高畠学』 藤原書店


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