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コーセーだから №15 [雑木林の四季]

創業者の生家に行ってきました

                                  (株)コーセーOB    北原 保

 コーセー化粧品とアルビオン化粧品の創業者、小林孝三郎の生家に行ってきました。
 小林孝三郎氏は1897年(明治30年)6月29日、茨城県の岩井というところで誕生しました。現在は坂東市岩井という住所になっていますが、当時は猿島郡岩井村と呼ばれていました。場所はキッコーマン醤油で知られる野田市とは利根川を挟んだ茨城県側で、江戸時代から利根川を利用した水運で交通の要衝に当たっていたのではないかと思われます。平将門ゆかりの地であり、古くは地域の商業の中心地として栄えていたようです。
 しかし現在は、今に至るまで鉄道の駅が一つもない市として珍しい存在であり、レタスや白菜、猿島茶などを産する農業中心のところです。なお、ウィキペディアによりますと、歴史上の記録も含めて鉄道の通っていない市は、離島を除くと坂東市を含めて6市しかないそうです。
 ともあれ小林孝三郎の生まれた明治期は非常に栄えていたようで、父の小林伊三郎は呉服商の釜屋呉服店という老舗の番頭として活躍していました。釜屋では「畳に銭がちらばり、金は升ではかっていた」という言い伝えが残っているそうですから、その繁盛振りをうかがい知ることが出来ます。
 小林伊三郎は釜屋六代目の妹(満ち)と結婚し、当時幼少だった七代目の後見人を務めていました。満ちの逝去後に再婚したす以が孝三郎の母です。
 伊三郎は天性の商才を発揮し、釜屋呉服店を大いに繁盛させていましたが、七代目の成人を待って、自ら身を引き、400~500メートルぐらい離れた場所に新居を構えました。それが1897年で、小林孝三郎の生まれた年のことでした。

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             1901年(明治34年)頃 左端が孝三郎、隣が父・伊三郎

 釜屋呉服店の大番頭だった人物が建てた家だけにその普請は立派だったようで、小学校5年生(1908年)までその家ですごした孝三郎は、後に出版した自伝的社史「化粧品ひとすじ」(1976年刊)の中で、「規模はそれほどでもないが、瓦に山万の屋号を入れた入母屋づくりのがっしりしたものである。回り廊下になっており、樹齢千年という樟の木をこの建築のために使ったというもので、8畳の間に天井板が6枚。2階の廊下の天井が1枚板というぜいたくさであった。紫檀、黒檀、タガヤサン(鉄刀木)といった銘木もふんだんに使われている。庭も自慢のもので『釜屋の普請』を見にくる見物人がしょっちゅうあった」とその思い出をかたっています。
 敷地については1000坪ほどあったと小林孝三郎は記していますが、商業地区の表通りに面する場所でもあり、昔の街づくりのように間口は狭く、奥に細長い立地で、実際には500坪前後と考えられます。まだ小さかった孝三郎にとってはとても広い敷地に思えたのかも知れません。
 小林伊三郎は釜屋を辞した後は煙草製造を営み、大きな財をなし、町会議員などを務めていたそうです。煙草事業が国家事業となり、製造権をを召し上げられた後は、後に小林孝三郎が化粧品業界に入るきっかけとなる化粧壜の製造会社釜屋化学工業の創立に参加したりしました。
 小林伊三郎の死後、実家を継いだのは孝三郎の兄、小林章治でした。小林章治は実家の場所で醤油の醸造を営み、成功をおさめました。現在、実家は兄章治の子孫の方々が受け継いでいます。醤油醸造をその後やめ、現在は釜屋酒店として酒類の販売を主に手がける店となっています。

 その子孫の方から、小林孝三郎ゆかりの家の保存等のお話があって今回の訪問となりました。
 拝見すると、1階は10畳間と6畳間の二間。天井板は10畳間が10枚、6畳間が6枚構成で、杉板とは明らかに異なるので、実際に樟の1枚板を使っていると思われます。樟は樟脳が取れるように虫喰いや腐食に強く、昔から建築資材としてよく使われているので、孝三郎の表記は間違いないものと思われます。また、樹齢が古い木もおおいことから、樹齢千年というのは言葉の綾にしても、相当立派な樟が使われていることはその通りではないかと思います。床柱も立派な黒檀の一木が使われていました。残念ながら、今回は2階を拝見できませんでした。
 しかし、屋根の構造については、写真のように入母屋造りではなく、寄棟造りでした。また鬼瓦に「山万」の屋号と書かれていますが、実際はもう少し複雑な「富士万」の屋号でした。孝三郎の記憶違いだと思います。
 孝三郎が書いているように、確かにそれほど大きな家ではありませんが、2階の外壁面が漆喰造りであり、すべての欄間に組子細工がはめこまれているなど、非常に手の込んだ造りでした。
 改めて純粋な日本家屋の美しさを再認識させられましたが、後世にこのような日本の美が伝えられて行くことを願うばかりです。

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                              現在の生家

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                      鬼瓦には富士万の屋号が入る

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                     現在は廊下にアルミサッシが入っている

15表通りに面した店舗では酒店を営んでいる.jpg

                   表通りに面した店舗では酒店を営んでいる

 なお、小林孝三郎は終生にわたって故郷である岩井の地を愛し続けました。私財を育英資金として寄付したり、事あるたびに訪れていたため、坂東市で2人目の名誉市民として称号を授与されるなど、郷土の偉人とされています。
(敬称略)


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