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シニア熱血宣言 №79 [雑木林の四季]

雪国、越後の春を訪ねて

                                      映像作家  石神 淳

 川端康成著、小説「雪国」冒頭の銀世界に誘われ、越後湯沢に向け、愛車を走らせた。関越自動車道の長いトンネルを抜けると、まず目に入るのは、山肌を覆い隠すような高層ビル群に目を見張らされる。
  今年は雪が少なく、三月初旬には雪が消えてしまった。それもその筈、東京の桜も蕾を膨らませていた。
 南魚沼のコシヒカリの(塩にぎり)は絶品である。道の駅「雪あかり」にある「たっぽ屋」で、越後を訪れると、まずは此処で、は塩にぎりを食べる。たいてい午前中に売り切れてしまうからご注意されよ。戦後、食料難の少年時代、田舎で食べさせて貰った、(銀シャリ)ノの感動的な味がここにある。
  敷地内の今泉記念館の常設展(棟方志功の世界)も是非観てほしい。これだけ多彩なコレクションは他にないから。
  川端康成が雪国を執筆した湯沢温泉の「高半」は、高台から湯沢の街をみおろし、三国山脈を一望できる客室もある。その高半の二階で、川端康成が昭和9年から12年にかけて雪国を執筆した。宿の下から、上越新幹線が走り出したのにはビックリだ。

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                        高台から眺めた、湯沢の町

  現在では、不老閣にあった「かすみの間」が移転され、展示室になっている。小説のモデルになった芸者駒子の写真や、映画「雪国」のロケ風景、主演の池部良さん、岸恵子さんのロケ記録も展示され、懐かしい映画「雪国」も上映されている。

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                         映画「雪国」のロケ風景

 その頃、すでに大スターの池部良さんだが、少女時代だった岸恵子さんの物凄い色香と演技は、感激なんていうものじゃない。現在も国際的な女優としてご活躍の岸恵子さんは、現代の美しき東洋の魔女だ。
 戦後、ションベン臭い場末の映画館で、岸恵子さんの演技に生唾を飲んだのは、まだ中学生の青臭いガキだった。
 あれから60余年。湯沢宿の高半で再会した、映画「雪国」は、あの時とは異なる感動を与えてくれた。それは、現代では感じられない、映像に対する飽くなき執着とロマンだ。感情的な遠近感の違いとも言おうか。映画~テレビ局員~フリーのノンフィクション映像作家と歩んだ、拘りの人生への儚い足跡が、それこそローソクを灯したような、己の人生を走馬灯のように描きながら感慨に浸った。雪が消えたとは云え、雪国の夜は冷え、思わず浴衣の襟を重ね合わせた。

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                        春を迎えた三国山脈

  越後名物と云えば、つなぎに布海苔を練り込んだ「へぎ蕎麦」がある。信州には、オヤマボクチ(通称、ヤマゴボウ)をつなぎに使う蕎麦もあるが、何れも小麦粉が手に入り難い地域の伝統食だ。(べぎ)は木製の器に盛りつけたものを板蕎麦とも言う。へぎに盛った蕎麦の波形を手振りと称し、織物を紡ぐ時の手の振り方に似せて、手振り盛りとも呼ぶ。
  手振りは、小千谷紬の麻糸のほつれを抑えるための布海苔(赤藻)を、手打ち蕎麦のつなぎに応用したものだが、誰が考え出したのだろうか。布海苔を無垢の銅鍋で煮てつなぎに使うと、あら不思議、緑色の蕎麦になる。その緑色の笊蕎麦に、芥子をつけて食べるのが、いちぶ地域に残るの習慣で、「エッ、蕎麦に山葵をつけて食べるの!」と、小千谷蕎麦の店主は、少年時代には驚かされたと語る。

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                          手振り盛りのへぎ蕎麦

  越後の春は、雪解けの湿った土から蕗の薹が顔をのぞかせ、春の恵みを味わせてくれる。蕗の薹や蕨も、エグミが強い天然ものにかぎる。今年は雪が早く溶けた分、水芭蕉が、いつも年よりも早くキラキラと光の泡に包まれ、緩やかな小川の流れに白い影を落としていた。国道沿いの春小川で、水芭蕉が咲く田園風景を眺められるのも、越後ならではの旅情だ。

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                        水芭蕉の咲く越後の春

  越後路は、紬織りを回顧できる旅でもある。麻から絹へと、伝統の座繰織(いざり織)を訪ねたが、やはり麻糸で織った夏物・冬物の塩沢紬は、絹に較べても独特の風合いがある。小千谷紬にしても、また然り。越後上布には、悠久の歳月が流れる。
 停年後、絹と蕎麦を訪ねて旅を続ける理由も、遺伝子とライツが「旅に出ろ、旅に出ろ」と、心を揺り動かしているからだ。
  もしも、認知症になったら・・・、車の運転が出来なくなったら・・・。
  ええ儘よ! と、蛮勇を振り絞って、生きている毎日だから、何かと八つ当たりされる親族の面々には申し訳ない。もう何年も先が無いからと、捨てぜりふを吐くと、みな諦めてしまう。

  越後は、来る日も来る日も雪また雪。雪崩や吹雪そして飢餓。暮らしの生々しさと酷しさを克明に描いた「北越雪譜」を著したのが、明和七年に塩沢村に生まれた、鈴木牧之(ぼくし)だ。北越雪譜は、雪国の本当の姿を多くの挿絵図を使って描き、自然・生物・祭りなどを紹介、民俗学的にも高い評価を得ている。
 鈴木牧之記念館に隣接した広い駐車場には、何台もの観光バスが駐車していたが、記念館館を訪れる観光客はなく、館内にはバスガイドさんばかりが目についた。
 雪国の姿を、川端康成と違った視点で伝えた鈴木牧之は、あの世から、現代の越後の暮らしを、どのように眺めているだろうか。
     


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