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高畠学 №51 [文化としての「環境日本学」]

いのちのマンダラ 

                                                               嶋田文恵

はじめに

 「高畠、有機農業、星寛治さん」この三つの言葉はかなり以前から私の脳裏にあり、いつかは訪ねてみたいと思っていた。それが早稲田環境塾のスタディツアーという形で実現しきわめて幸運だった。そして多くの気づき、学び、癒し、そして希望をいただいた。
 高畠に何を見たか。それは一言で言ってしまえば「パラダイムの転換」である。どのような思考の枠組みへと転換していくのか。その一つの形を見せてくれたように思う。
 以下、私が高畠で学んだことを、星寛治さんを軸に有機農業と高畠の歴史をたどりながら、いくつかの項目を立てて述べてみたい。そして最後に、高畠を通して私が考えた「近代と農業」について述べてみたい。

近代農業の光と影

 近代の経済効率優先、合理主義、大量生産/大量消費/大量廃棄システムの物質文明社会は、地球資源の無駄遣いと枯渇、深刻な環境汚染、さらには人間をモノとして扱い食といのちをおろそかにした結果による、人間の深刻な肉体的精神的病を引き起こした。人間が作った社会経済システムも、金融危機に見られるように立ち行かなくなった。地球も人類もこのままでは生き延びていけないことは、もはや誰の目にも明確になってきている。
 農業も近代化の中で、効率化や重労働からの解放という光の一方、農薬や化学肥料の影響による深刻な人体や自然に対する影響という影の部分を引き起こしてきた。星さん自身、「近代農業の尖兵」のような役割を果たしていたというか、リンゴの幼果の全滅、健康被害にあい、農薬が命や環境に大きなダメージを与えることを身をもって体験する。さらに自分も被害者だが、消費者にとっては加害者にもなり得る。そぅしたことが転機となって、有機農業を志すのである。

星寛治さんと仲間たち

 星サンと対面するのは初めてであり、たった数時間のお話と二日間を一緒に過ごしただけなのに、私は深い感銘を受けた。哲学者だと思った。まさにキーパーソンとはこういう人のことをいうのだと思った。それは実体験の中で積み上げてきた賜物なのだろう。
 一九七三年に「高畠町有機農業研究会」を三八名の仲間と立ち上げ、リーダーとなった星さんは、①自分との闘い②地域社会との闘い③農政(国)との闘い(星さん)を続けながら、手探りの実践を重ねていった。有機農業は異常気象、干ばつに強い、そして市場相場と一切関係のない「提携」をすることによって、しだいのその価値が認知されるようになる。軌道に乗ったかと思われる頃、星さんは地元の人に、「おまえらずいぶんいい思いしているじゃないか」と言われ、ハッとしたという。地域社会を変えるには「点」から「面」にならなくてはだめだと思ったと言う。
 一九八七年に「上和田有機米生産組合」を立ち上げ、有機農業を広げ始める。そしてここが難しいところだが、有機農業を広げるために一回だけ除草剤の使用を認めた。「妥協した」「今思えばこれが境目だったが、これで広がった」(星さん)と言う。さらに地場産業であった食品会社とも連携し、地域経済の活性化にも貢献する。
 もちろんこうした実績は、星さん一人の力ではなく、そこには星さんたちが有機農業を学んだ先達たち、福岡正信さんや一楽照雄さんたちの協力があった。そして有機農業を始める前からの青年団運動の仲間たちがいた。星さんは突出して有能な人だが、共に支えあう仲間たちがいたからこその賜物なのだと思う。その仲間たちのリーダーとしてここまで有機農業を社会認知させてきた星さんは、やっぱり人並みはずれた大智、人徳を持つ人なのだと思う。それを言葉の端々、私たちとの個人的な会話からも「分感じさせてくれる人であった。

地域・行政を動かす力

 「面」となった力は、さらに地域を動かす力となるり 農業は単に食物を得るだけでなく、人間形成に果たす役割も大きいとの観点から、食農教育に取り組む。「耕す教育」と称して、高畠町の小中学校では三〇年前から学校所有の畑や田んぼを持ち、実際に土に触れる教育を取り入れる。二井宿小学校の伊澤良治校長が見せてくれたスライドでは、子供たちは本当にイキイキと見えた。さらに「いのちの教育」として、二〇年前から都会の子供たちの農業体験を受け入れている。それは、星さんたちが有機農業を地域の中で成功させてきた実績があり、塁さんが高畠町の教育委員長としての任にあったことが、これらを導く大きな力だったといえるだろう。
 地域の力=教育と文化の力は、次に行政を動かす力へと強まっていく。
 高畠町は「たかはた食と農のまちづくり条例」を二〇〇九年四月から施行している。この条例は画期的だ。大雑把なポイントは「自然環境に配慮した農業」「安全・安心な農産物の生産と地産地消」「食青の実践」「農業の多面的機能と交流の場」そして「遺伝子組み換え作物栽培の自主規制」である。すでに多くの遺伝子組み換え作物が輸入されている日本だが、自国での栽培はまだ試験段階にある。農水省はイノゲノムの実績のある稲からまず実用化したい考えのようだが、それを見越して水際で食い止めようという条例を作ったのは、他の地域のことは知らないのだが先駆的であると察する。しかし星さんたちは、「自主規制」からもう一歩踏み込んで「禁止」まで持っていきたかったようだ。有機栽培の農地が増えてきた昨今、他の地域がどのように対応しているのか興味のあるところである。
 星さんは山形県教育振興計画審議会委員長も務めており、二〇〇四年、山形県教育委員会は審議会の答申を受け、一〇年間の第五次山形県教育振興計画を策定した。ホームページを開くと、「星寛治委員長から木村宰教育長へ答申書が手渡されました」のキャプションが付いて、星さんの大きな写真が飛び込んでくる。星さんは「行政もようやくこういうレベルまで達した」と言う。それを動かしてきたの.が星さんたちである。
 星さんは言う。「農と教育は見えないところでつながっている」「パラダイムの転換には教育と文化のカが必要だ」。

『高畠学』 藤原書店


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