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はてしない気圏の夢をはらみ №21 [文化としての「環境日本学」]

いまよう飛天物語
   春の広島紀行

                             詩人・『地下水」同人  星 寛治

 北のふるさとは
 粉雪が舞うていたが
 市電の行き交う街には
 蘇鉄(そてつ)の葉が見えかくれ、
 国泰町の大路にのしかかる
 巨きなビルの容量が
 生れ変った都市の身体(からだ)と
 情熱をあらわしている
 
 鯉城に沿って川が流れ、
 橋の上を車が流れ、
 飛天になったぼくは
 ドームの上を旋回して
 ゆるやかに着地する。
 その衣の風に誘われて
 数え切れない鳩が舞う

 慰霊塔にもえる火に
 目を閉じ、頭を垂れると
 はるかな時空をつきぬけて
 あの日が戻ってくる
 幼い日の夏を引き裂いた
 悪感のようなもの、
  心を喪うことのおそれ、

 あの日、飛び込んだ人々で
 埋まったという川、
 いまは、銀色の鯉が泳いでいる
 この平穏の水底にゆれる影を
 じいっと見入っている
 飛天の懐に抱えているのは
 香気の壷だ。

 タクラマカンの熱砂は、秋
 奈良の杜に薫風を運んだが、
 冬のヒロシマは
 飛天の胸をしめつける。
 もう鳩の群れに囲まれて
 留まることはできない

 ふたたび羽衣をひるがえし
 冬の飛天は空に舞う
 琴を鳴らし、
 ゆらめく炎に祈りを残し
 北に向って翔びつづける、
 眼下に広がる瀬戸の海
 おとぎの国に似た畠、島
 てり返すしぶき

 翼はしめった雲を切り
 すぐに雲海の上に出た
 累々のじゅうたんの果ては
 ぬけるような青空
 鳥たちの呼吸も届かない

 やがて薄暮が訪うと
 彼岸の国の夕映えがもえる
 飛天は息を呑んだまま
 まばたきせず眺めている
 あの橙(だいだい)色の花園に
 天女たちがゆったりと
 会釈を交わしているのだろうか

 飛天は目を閉じたまま
 さらに北へと翔びつづける
 皮膚に時空の流れを刻み
 磁気も引力も振り切るように
 飛ぶことだけに生きている
 
 どれだけたつのか
 底深い夜気が肢体(からだ)を包む
 気がつくと、
 前方に大きな月がある
 山の端でも、海の上でもない
 ましてやビルの屋上でもない
 無辺宇宙の空間に
 ただぽっかりと浮いている

 ふと、翼を斜めに旋回すると
  月は左右に位置を変え、
 あるいは彼方に去る、
  それは不思議な光景だ 
 はるか地軸宅を離れた不安定が
 ぼくの神経をくるわしたのか
 
 意を決した飛天は
 オゾンの皮膜をはなれ、
 まるで墜落する速度で
 地上めがけて降下する。
 一瞬、雲海をつきぬけると
 しめった温かさを知覚する

 すぐに、潮の匂いが迫ってきた
 無数の明りの点滅が見える、
 にぎわう東京湾の方位が
 ざわめきの中に読み取れる
 
 翼をたたみ
 潮風に衣をなびかせて
 飛天はひらりと着地する
 そこは関東ローム層の
 やわらかい土の上だ。
 足裏から伝う大地のたしかさ、
 温かさ

 まだ、北のふるさとは遠いが
 地を這うて行くばかりだ、
  虫の目でいいではないか
 ゆるぎないものを見つめ
 いのちの鼓動を聞きながら、
 歩きたいのだ

『はてしない気圏の夢をはらみ』 世織書房


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