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じゃがいもころんだ №78 [文芸美術の森]

大人になったら

                                                 エッセイスト  中村一枝

 子供のとき、大人になったらしてみたいことがずいぶんあった。その中の一つがパーマをかけたい、だった。
 私の少女時代はアメリカ映画の全盛時代だった。戦争が終わって洪水のようにアメリカ映画がなだれ込んできた。大人たちは、アメリカ映画なら、と子供が映画に行くことを止めなかった。実際、当時のアメリカ映画は、どこをつついても正義の二文字が飛び出してきそうな映画が多く、それに見ごたえのある傑作も多かった。そして子供にとってはアメリカ映画は異文化の見本市でもあった。広い芝生の庭に大きな車、ペンキで塗っただけとは知りようがないから、真っ白の外観、室内にある、テレビも冷蔵庫も、ベッドも、食卓からカーテンまで、みる物全くユメの世界だった。その中で一番羨ましかったのは長いふわふわの金髪を風になびかせている少女たちだった。ゆるやかな金髪が少女たちの肩にふわりとひろがっている。自分の硬くてまっすぐな黒髪がいやで、母の鏡の引き出しからピンやカーラーを引っぱり出して巻いてみたりした。
 大人になったらパーマをかけよう、当時の私のひそかな願いであった。
 パーマネントは既に戦前から、いわゆる電髪として女性たちに受け入れられてはいたが、一般に普及したのは昭和二十年代、コールドパーマが開発されてかららしい。
 私がはじめてパーマをかけたのは大学に入った年の夏休みだった気がする。大学のクラスメートの男の子があるとき
「東京の女の人って髪がきれいでおどろいたよ。うちの田舎じゃあ、みんな、ちりちりの頭だからね」
 と言ったことがある。当時の地方のパーマネントの技術は今のように、スマートにかっこよくパーマをかけるより、とにかく髪を縮らせることが目的だったのだろう。
 同じ大学の独文科四年のKさんが東京から伊東の私の家を訪ねてきたのは、ちょうど私がパーマをかけた頃である。その日、私と母は用事があって東京に出かけていた。父が一人で留守番をしていた。Kさんも驚いたらしいがもっと驚いたのは父だったかも知れない。私たちが家に入るなり父が出てきた。
「おい、お前の友だちだって男が訪ねてきたぞ」と言う。「え」なんて言うものじゃない。今なら、オーマイ・ゴッド、だろうけど。
「上がって茶でも飲んでけと言ったら上がってきて、こんな物をおいてった。中々面白いやつだったよ」
 父は上機嫌だった。
 Kさんの家は、東京のおせんべいやさんで 、彼の持ってきたのは古新聞に包んだ、半端もののおせんべいだった。父はこういう飾らないものが大好きだった。
 Kさんはそれが縁で、東京から家の用事で湯河原にくるついでに足を伸ばして伊東まで何度もやってきた。泳げない私に水泳を教えてくれるという。戦争中海軍兵学校の生徒だった彼はクラスメートの男の子たちよりひとまわりもふたまわりも、男っぽく、大人だった。私は例のごとく、たちまち、熱をあげて、夏休み中ぼーっとしていた。恋の一念と言うべきか、犬かきさえままならなかった私が、夏が終わる頃には、がむしゃらに、手と足をばたばたさせて、海の真ん中のとび込み台から、岸まで泳ぎついたのである。とび込み台から眺めた伊東の海岸と、後ろに連なる温泉街の風景が、未だに私の中には昨日のようによみがえってくる。


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