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西洋百人一絵 №18 [文芸美術の森]

ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」

                    美術ジャーナリスト、美術史学会会員  斎藤陽一

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                                                                                                                                                     テイツィアーノ(1488頃~1576)は、その長い生涯のほとんどをヴェネツィアで活動し、名声、勢力ともに一身に集めた巨匠である。若い頃、ジョルジョーネと接触してその影響を受け、色彩豊かな絵画世界を開花させた。ジョルジョーネは早世したため、残した作品数は少ないが、ティツィアーノのほうは90歳近くまで生きたために、北方から導入された油絵具を自在に駆使して、宗教画、神話画、肖像画など様々なジャンルで500点近くの作品を残した。

 今回は、ティツィアーノの様々な絵画の中から、その後の西洋絵画における裸体画の原点となった「ウルビーノのヴィーナス」(1538年頃)を取り上げたい。
 ベッドに豊満な裸身を横たえているのは、古代神話の愛と美の女神ヴィーナスである。その眼は、媚を含んでこちらを見つめている。実に官能的であり、生々しい。ここは、ヴェネツィア風の豪華な邸館の部屋であり、後方では、侍女たちが長櫃から衣装を取り出している。まさに、この絵は、ヴィーナスの名を借りた、当世風の裸体画なのである。  しかし、彼女にヴィーナスの花である赤いバラ(「愛」の象徴)を持たせて神話仕立てにすることによって、“世俗的な裸体画ではない”という口実にしている。
 さらに、赤いバラのほかに、「貞節」の象徴である子犬がヴィーナスの足元にうずくまり、窓辺には「結婚愛」の象徴である「ミルト(銀梅花)」の鉢植えが置かれていて、愛と結婚を象徴する絵画であることを暗示させている。

 この絵をティツィアーノに注文したのは、ウルビーノ公グイドバルド・デラ・ローヴェレ2世である。グイドバルドは、この4年前の1534年にわずか10歳の少女ジュリアを妻にしており、自分と幼な妻との寝室を飾るために注文したと言われる。とすれば、この絵の真のねらいは、裸体そのものの鑑賞であり、エロスと官能の炎をかきたてるところにあったのではないか、などと考えてしまう。
  ともあれ、この官能的で生命感あふれる絵は、その後の“横たわるヴィーナス像”の原形となり、後世に大きな影響を与えた。ベラスケスの「鏡を見るヴィーナス」、ゴヤの「裸のマハ」、マネの「オランピア」などが、その系譜につながるものである。もっとも、ゴヤとマネの絵は、神話仕立てにしなかったために、この2点とも、当時の社会を騒がすスキャンダルとなった。

(図像)ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」(1538年頃。ウフィツイ美術館)


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