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じゃがいもころんだ №68 [文芸美術の森]

大森山王文学さんぽ

                                    エッセイスト  中村一枝

 毎年のことだが、正月を過ぎるとすこしずつ日が伸びてくる。朝の七時前後、風は冷たさをはらみ、指の先が痛い。でも、昼近くなると、特に日当たりのいい南側はぬくもりとやわらかな暖かさに掩われる。もうすこししたら春、いや、もう、そこいらまで春がきている。
 そんなある一日、ひょんなことから、尾崎士郎文学館から山王草堂(旧徳富蘇峰邸)へと、ひとを案内して廻ることになった。実はひととの出逢いの面白さが身にしみたのは、この日、Nさんと山王界隈を歩きまわってのことである。
 何年か前、姑中村汀女の墓に行ったとき、墓の前で一人の男性に声をかけられた。「汀女先生のご縁の方でしょうか」というような言葉だった。四十か五十見当の感じのいい人だったことしか覚えていない。お墓を出てから近くのコーヒー店でお茶を飲んだ気もするし、その辺も忘れている。ただ弾んだおしゃべりの楽しさだけは記憶に残っていた。その人がNさんである。児童図書を手がけているといわれ、後から絵本を送って頂いた。今年の正月、N さんから年賀状がきた。失くしたと思っていた私の住所が出てきたのだそうだ。メールのやりとりの後、父の記念館に行ったみたいという話になったのだ。
 大森駅の改札口で待ちながら、あの人かな、あの人じゃない、この人かな、いや違う、と迷いながら待っていると、「中村さんですか」と声をかけられた。その瞬間、ぱっと思い出したのではなく、あれっ?と思い惑い、立ちすくんだのである。やはり、五十前後の穏和で感じのいい人だった。でも、お墓の前で話した人と中々結びつかない。人間の記憶のあいまいさを思い知った。最近、父の記念館から山王草堂まで、大田区役所のきも入りで道がつながるようになった。実は私も初めて通ったのだが、二つの記念館がつながって、趣きのある散歩道になっている。どちらの記念館にも何度かきているし、ひとを連れてきたこともある。Nさんは、どちらの記念館もとても気に入ったと言ってくれて、展示物の前ではほう、とか、うわ、とか感情のこもった小さなつぶやきを発しながら見学してくれた。私にしても見せごたえのようなものが湧いてきて、何となく楽しくなる。今まで気にもとめなかった徳富蘇峰という人まで妙に生き生きと自分の傍らによみがえってくる。去年NHKで放映された「八重の桜」(時々みたが)に、青年時代の蘇峰が出ていたことを思い出した。でも実物の蘇峰青年の方がずっとナウくてかわいいのには驚いた。今どきのナイスガイと言っても充分通用する。それまで余り気にもとめていなかった蘇峰という人物の奥深さ面白さ老獪(ろうかい)さまでみえてくる。山王草堂が建ったのは大正十三年で、父尾崎士郎と、女流作家宇野千代さんが馬込に愛の巣をかまえていた時期と重なる。青年貧乏文士の尾崎士郎にとって徳富蘇峰は手の届かぬ高い山だったに違いない。私が徳富さん(この辺の人はみんなそう呼んでいた)を知ったのは小学校三、四年の頃で、今、草堂の建つ一帯は、こまこました古い小さな家と、深いやぶの生い茂る道だった。昼間でも一人ではとても通れない、細いさびしい道で両側からひょいと何かが出てきそうだった。大人になってからもこの道の怖い夢をみたくらいだ。今は瀟洒な住宅街が続く。
 ほとんど初対面の人とこんなに歯に衣着せず話し合えるのはおしゃべりの私でも珍しい。年代、環境の違いを越えて価値観を共有できる人を見つけた喜び、「生きているから楽しいんだ」、歌の一節をふと思い出した。


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