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西洋百人一絵 №5 [文芸美術の森]

ピサネッロ「ジネブラ・デステの肖像」

                           美術ジャーナリスト、美術史学会会員  斎藤陽一 

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 この回は、ルネサンス期のイタリアで、悲しくもはかない運命をたどった一人の姫君の肖像画を取り上げたい。
 これを描いたのはピサネッロ(1395頃~1455年頃)と言い、15世紀前半のイタリアで活躍した画家。彼が描いた姫君の名前は「ジネブラ・デステ」。フェラーラの名家エステ家の公女である。
 ピサネッロは、むしろ中世末期のゴシック様式の伝統の中に生きた画家であり、装飾的な構図と繊細な線描を得意とする。この絵にも、そのようなピサネッロの特質が表われている。
 姫君が横顔で描かれているのも、中世の人物表現の特徴である。中世キリスト教世界では、彫刻や絵画において人物の顔を表現する時、その向き方について、一定の規範があった。それは、神やキリスト、聖母マリアという至高の存在は正面を向いた顔、天使や聖人たちの顔は正面向きもあり得るが、抑制的に表す場合には七三の斜め向き、そして、世俗の人間の場合には、王侯君主と言えども横顔で描くという決まりであった。現世に生きる人間の顔が正面向きに描かれたり、自然な顔つきで描かれたりするようになるのは、ルネサンス時代からである。
 ピサネッロは、当時はむしろメダル製作者として知られており、メダルに刻む権力者や上流階級の人々の肖像は横顔を主体としていた。
 まさに、この姫君は、そのような横顔で描かれている。しかし、少女のような清楚な横顔を見せるジネブラ・デステのたたずまいからは、どこかしら、幻想的ではかない印象を受ける。それは、彼女のうしろの濃い緑の背景にあしらわれている蝶や花が醸し出す雰囲気のせいもあるが、何よりも、彼女のこのあとの運命を知っているからだろう。
 この絵に描かれた当時、ジネブラは14、5歳頃とされるが、その頃、彼女は、リミニの領主シジスモンド・マラテスタと婚約している。
 マラテスタは、個性的かつ恐るべき専制君主で、残虐非道な所業と芸術への愛好で知られた人物だった。彼について、「放埓と背徳と戦争の才能と高い教養が、ひとりの人間に結合している」と、文化史家ブルクハルトが書いているほどである。
 この姫君は、とんでもない男と結婚してしまった。この肖像が描かれてから6,7年後に、彼女は夫から毒殺される運命をたどるのである。
 この薄幸の少女の気品ある横顔を見るとき、痛ましい思いを禁じえない。
                                                                               
                                                                               
(図像)ピサネッロ「ジネブラ・デステの肖像」(1438~40年。ルーヴル美術館)


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