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気ままにギャラリートーク~平櫛田中 №6 [文芸美術の森]

《釣隠(ちょういん)》

                           小平市平櫛田中彫刻美術館                                                                                      主査・学芸員  藤井明

釣隠 のコピー.jpg
 
 

 モデルは中国・周の時代に軍師として活躍した呂尚(りょしょう)という人物です。周の文王が呂尚に出会い、「この人こそ私の祖父である太公(たいこう)が待ち望んだ人だ」と喜んで彼を召し抱えたことから「太公望」と呼ばれました。太公望はよく釣りをしたことから、現在では釣り師の代名詞のようになっています。
この作品はユニークなことに、人物、釣竿、台座は一体ではなく、別々に作られています。それぞれの配置を変えることが可能なので、置き方次第で作品の印象はずいぶん変わってきます。
古今東西で彫刻と呼ばれる作品について考えみると、彫刻は動いたり、取り外しができる主要な部分を持たないものが多いようです。
けれども、彫刻と対比されることの多い人形はそうではありません。たとえば雛人形は、複数の様々な人物や小さな調度品を並べて一つの作品世界を作りあげているわけですし、筆者と同世代の女の子が夢中になった「リカちゃん人形」も、衣装や靴など自分の好みに合わせて着せ替えできることが人気を集めた理由にありました。全ての人形がそうだというのではありませんが、このように人形は可動的で、着脱可能なパーツを含んでいることが多いのです。
 また、この《釣隠》は、木を彫り、形が作られた後に彩色が施されているのですが、色が着けられたり布が貼られることが多いのも、人形の特色の一つと言えるでしょう。だから、あなたが《釣隠》を見て、人形のように感じてしまっても無理はありません。
けれども、この作品が彫刻としての条件が不足しているかというと、そうではありません。呂尚の体は遊離した部分を持たないように作られおり、近代彫刻が重視したマッス(量塊)に対する配慮も忘れられていません。また、衣装の上からも分かる体の重心が正しい位置にあることも、人体解剖学に対する彫刻家としての理解度を示しています。
このように《釣隠》は、彫刻と人形の性格を合わせ持つ、なんとも不思議な作品です。しかし、それだけに筆者には、彫刻とは何かという根源的な問題を突き付けてくる刺激的な作品なのです。

* * * * * * * * * * * *                                                                       平櫛田中について 

平櫛田中は、明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、上京して高村光雲の門下生となる。その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作した。
大正期には、モデルを使用した塑造の研究に励み、その成果を代表作《転生》《烏有先生》など。昭和初期以降は、彩色の使用を試み、「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求め、昭和33年には国立劇場の《鏡獅子》を20年の歳月をかけて完成した。昭和37年には、彫刻界でのこうした功績が認められ、文化勲章を受章する。
昭和45年、長年住み暮した東京都台東区から小平市に転居し、亡くなるまでの約10年間を過ごした。昭和54年、107歳で没。


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