SSブログ

京都環境学 №12 [雑木林の四季]

共に生かされている命を感じて 2

                                    鞍馬寺貫首  信楽香仁 

 つながり響き合う世界

 このお山、自然環境が大変豊かでいろいろな動植物が生息しています。先代が詠んだ歌がありまして「つむなかれ、わが山の草ことごとく浄土の相をあらわして咲く」。一本の草木、それぞれが仏さまの世界を現しているのだという。鞍馬流に言えば、自然は尊天のお働きの顕現ということです。ですからお山では、花も虫も鳥もきのこも「自然はみんな天からの贈りもの」ということになるのですね。本当に自然は天からいただいた宝物だと思います。また「鞍馬弘教教条」には「天地自然は生きたる大蔵経なり」とあります。自然の相は仏教経典すべてであるという。自然は私たちの先生、お師匠さんなのです。自然の相を観ていると本当にいろいろなことを教えられます。私はお山の自然の中に暮らしていろいろなことを学ばせてもらいました。この豊かな自然環境から何を学び取るか、いつも自然環境は何かを発信してくれているのでしょうけど、それをどう受け取るかということが大事なのかなと思います。
 では、どんなことを教えられるのでしょうか。例えば先ほどお上がりいただいた転法輪堂のところに石鉢があります。あの石鉢の石は鞍馬石といいます。七千万年前に地球の変動で生まれた石です。石としてはまだ若いのですけどね。私たちの周りに自分を取り囲んでいる世界というものは、その日で見れば、センサーを調整してみれば、何か並々ならぬ、「有り難い」、「有ること難き世界」ということをしみじみ思います。本当にそうなのですよ。その石と、今出会う。七千万年もの命を生きた石ですよ。考えられないくらい長い年月を生きた石、そう思うと時の流れ、巡りというのは凄いと思います。それでもお山で一番若い石なのです。
 鞍馬山は地学的には、日本列島の生い立ちを物語る場でもあると言われます。約二億五千万年もの昔、海嶺に噴出したマグマはプレートに乗って一億五千万年もの長旅をしてユーラシア大陸に到着しました。その表層がお山の地殻になっています。お山の参道で出会う自然石は遠い昔から長い長い旅を続けて鞍馬の山を安らぎの地としたのです。奥の院の魔王殿付近では、フズリナやサンゴ、ウミユリなどの化石も発見されています。何と二億五千年前の石に出会うことができるのですよ。有り難いことだと思います。
 山中には太い大きな、年齢を重ねた木がたくさん生えております。皆さんこちらにいらして「立派な木ですね」と言ってくださいますが、それは地上から出た姿、目で見える幹とか枝とか茂みとかを見て立派だとお思いになるのでしよう。しかし、その立派な木になるためには、土から下の根っこが、枝が伸びているくらいに、大きく強く張っているのです。何が大事かというとまず根っこなのですね。種が一粒落ちてそれが命を育てるためには、まず根っこが出るのです。そして地面に固定されてから、初めて私たちが見ている三次元の世界に出て、枝葉を茂らせ花になり実になるのです。あまり根っこのことは気がつかないで、花が咲いたな、実が実ったなということが大事だと思っている。そのために育てると思いがちなのですが、根っこの方が大事だと思いますね。枝木が立派なものは根っこも立派です。見えないけれども、そこにいのちの根源というものを教えてもらうことができます。
 それからもっと気がつかないことは、菌類だと思うのです。きのこです。きのこは菌類の花なのです。菌類というのはとても大事だと思います。すべてのものを大地に還元してくれます。そこからまた肥沃な土が生まれて、新しい芽生えが生まれてきます。そうすると、気がつかないけどもその働きというのはなくてはならないものです。私は黙って山や森のおそうじをしてくれていると思っています一
 秋になると樹木が美しく錦をまといます。よくよく見ますと、とりどりに紅葉した葉っぱのつけ根に小さな芽が生まれているのです。散りゆく前に、次の世代を受け継ぐ芽をちゃんとととのえています。そして葉は土の上に散って、菌類の働きで分解されて、次代を育てる養分となります。春を、夏を、秋を愛でられる木々は、こうした地道な営みを続けているのです。本当に私たちは自然の相からいろんなことを学ぶことができます。
 そして、自然から学ばせていただいたことをお山では「羅網(らもう)」という形にして表しています。羅網は珠玉をつらねた飾り網のことで、極楽浄土を荘厳します。鞍馬寺でも本殿に懸けて堂内を厳かに飾っているわけですが、この金属でできた飾りの一枚一枚が一人一人なのです。
 人間だけではない、太陽も月も大地も、草も鳥も虫も。それをよく分かるように普明殿というケーブル乗場では森羅万象をデザインした羅網を懸けています。それも孤立しているのではなく、全部繋がっているのです。見えないところで、私たちが気がつかないところで繋がっている。だから、そのひとつを揺らすと向こうの端まで揺れが拡がってゆく。気持ちや心や行ないが響くのです。もしかしたら何気ない私たちのひとつの行為が、全然関係ないところに何かしらの形で及んでいる。決して一人ではない。みんな繋がっている。それが人間だけでなくすべての万象に響くということを羅網の世界は表しています。
 人類の生命だけが尊いのではなく、地球に生命を得た多様ないのちが互いに照らし合い、支えあい、響きあってこそ、すべてのいのちが輝き、大生命の中に安らぐことができるのです。

『京都環境学』藤原書店


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0