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パリ・くらしと彩りの手帖 №40 [雑木林の四季]

 リュクサンブールと云う国のすべて

                                在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ  

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リュクサンブール公国の位置
 

40-2.png さあ、今日はパリから汽車で2時間、ヨーロッパの中の小さな国、しかしヨーロッパの一国として重要な国、ルクセンブルク公国をご紹介しよう。LUXEMBOURG をドイツ語風に読めばなるほどルクセンブルク、フランス語風に読めばリュクサンブール、パリからのお便り故こちらで。つい最近迄この国の公用語はこの二つの言葉だったのが3つ目の言葉が此れに加わった。驚いたのは、それがリュクサンブール語、土地の言葉である。この国の子供達は小学校からもうこの3つの言葉を使いこなす。今は外国語として英語は当たり前となると国として経済的に世界でも最も豊かな国の一つである上、世界に飛び立つ若者達もこの国の人々は始めから優位だ。
40-3.png ドイツ、フランス、ベルギーに囲まれた立憲公国。1867年以降永世中立国となるが、第2次世界大戦でドイツ占領下となり、そのあと、永世中立を放棄した。アルツェッテ河畔に同名の首都がある。フランス語読みでリュクサンブール、人口は今年の調査で537000人。首都であるためには50万人の人口が必要と云うから、ギリギリの所であろう。そしてその44%は外国人だと云うからもう一つびっくりと云う訳だ。ここのオーケストラのメンバーも、リュクサンブール人は2人で、大部分はフランス人だという。自国に比べて給料がよい上、税金の方でも優遇措置があるというからだろう。
 国土は2586km。南北の一番長い所で82km、東西は57kmで、縦に鉄道が通っている。プチスイスと云われる所以である。交通は主に車で、オートバイが非常に多い。町中にはバスが頻繁に通っていてどこにでもすぐ行けるという感じだ。ヨーロッパを立ち上げた最初の6カ国の一つで、ここには、ベルギーやフランスのように、ヨーロッパの様々な重要機関がある。(写真左上:国旗 下:紋章)

 
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首都リュクサンブールのショッピング通り



 実は私は今から10年ほど前、フランスの音楽、美術記者達数人と共にここの文化大臣の招待で、この国の文化活動を、特に音楽を中心に知る旅に行っている。驚いた事に、到着した時点からこの文化大臣に迎えられ、まず、食事に招かれ、その場でこのピアニストであるという文相は、まづ私たちに熱弁を振るった。この国にはいいオーケストラがあり、世界的な音楽家達の演奏もよくあるのに、それにふさわしいコンサートホールがないので、何年来と此れを大きな目的に掲げてやって来たのだが、らちがあかない。そうこうしているうちに、建設大臣のポストが空くと云うので、早速立候補して文化と建設の両方を得た。その結果、すごいスピードですべては進み、今日はそのコンサートホールの、あと一歩でオープンとなる所を案内するつもりだとの事。食事の後、他のお役人の案内で、古い遺跡や新しい美術などを見せてもらった。至る所に銀行があり、当時の日本人数は約300人で、そのほとんどすべてが銀行関係とその家族だと云う事だった。そんな訳で、美術館といえども、銀行のビルの中の上階だったり、他の国とはちょっと違っていた。こんな銀行の上の美術館で私の主人の彫刻にも出会った。そして、また驚いたのは、デイナーも文相に招かれると云うプログラムで、それでもう一度再会して新しいホールの殆ど出来上がった所を見せてもらったのである。建築家はフランスのヴィレットの音楽シテイを作ったたクリスチアン・ド・ポルツァンパルクである。そしてその10年も後になって私はその美しい姿、リュクサンブールの人々の誇る現代のモニュマンとして音楽を創る建物、”フィルハーモニー”を見たのである。この白く透明感のある巨大な豆形の建物は、この建築家が敬愛するブラジリアのシンボルとなったニーメイヤーの国会をイメージして創ったものであると云う。

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夢のコンサートホール:“フィルハーモニー”
             
 さて今回もグループの旅・ドイツから7人、フランスから3人、その一人が私と云う訳だ。まづ、チョコレートハウスで昼食をとることになったが、此れは好きな味のチョコレートの棒を選んでお湯や厚いミルクに溶かして飲むのがアイデイアの楽しいレストランだが、この店があるのはリュクサンブールの町の中央にある小さな広場だ。気がついてみると向かい側の立派な建物の前には衛兵がいて4・6時中銃を持って短い距離を行ったり来たりしている。何とそこはこの国の王様、公爵家の宮殿だったのだ。更にその横は議会に通じる。ガイドさんが小さな声で、ほら今こちらの方に歩いて来るのが今の首相です。丁度文化相といっしょ、時間が時間だからきっと食事に出かけるのでしょう。この辺りにはレストランも多いし、みんな歩いて何でも出来ますからね。ということだった。
 
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この国のトップ、公爵家の宮殿、衛兵がいる


  
 市役所と云うのか、首都のための役所もそのすご近くの広場にあるが、週に何回かはここがマルシェと化す。野菜や果物、魚や肉の売り場がぎっしり、丁度キノコの時期だったから沢山の種類が並べられていて、キノコの好きな私には大変魅力的だった。そして花や植物の市も此れに続いてぎっしりと見事だった。
 ここでの食事はビタミンの豊富そうなサラダやハム等が多かったが、自由な夕食の時間があったので、ホテルでアドレスを聞いて、この土地の料理を食べたいと15kmほどをタクシーで駆けつけてみた。はるかな眺めの良い、美しいレストランだった。ところが、何とメニューを開くとフランスで見慣れた高級料理店のそれだった。土地のものを食べようと思って来たのだからがっかりだとソムリエに言った。それをいつの間にかシェフに伝えてしまったらしい。女性のシェフが来て話しているうちに時間も経ち、お客さんはみんな引き上げた。そして、私と話が合ってしまったこのシェフは私のテーブルに座って話が終わらない。私は土地の味を知りたくて来たのに、此れではフランスの3つ星レストランの味だ。目的にはがっかりしたが、実に美味しい、いい料理だと正直な所を言った。子羊のフィレ肉をジャガイモを練った皮で巻いて揚げた料理も見事だった。話してみると何と彼女はフランスのボッキューズ賞を女性で初めてとった人だった。こうして一回の食事ですっかり友達になってしまったレア・リンステールは最後に“払わないで”“いやそうはいかない”と私と押し問答。最後に私の案で、“ではそうする、ありがとう”と云ってから、丁度その料金を “では此れはここの人達のサーヴィス料にします” “それは多すぎる”“いや、此れはあなたのためのものではないから何も言わないで” そして、ホテルに帰ったのは彼女の車でだった。その翌日、早朝から電話で起こされたが、何とレアが私のホテルに来ているという。身支度をする間待たせたが、降りて行くと、ホテルの人が“何時のランデヴーだったのか”と聞くから、“そんな約束は無い。夕べ送ってくれたのだけれど来るなんて言っていなかった” 此れでみんなまたびっくり。レアは仕事終わりの夕べのシェフの姿が自分で気に入らなかったらしい。それで早朝から美容に精を出して見違えるようになって現れたのである。その女心に私はすっかり感動していた。パリに来たら会うだろう。アメリカに店を出したいと云っていた。

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 首都のシテイホール 都庁?
 
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シテイホール前の広場は市の日はマルシェとなる。この日はキノコがシーズン。
 
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花市
 
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レア・リンスター:この国のガストロノミーを代表するシェフ
 
 

    
  このあたり、リュクサンブールの駅のまえからバスで15分程だろうか。高台にこれらの現代建築が並ぶ。その一つがルーブルの中庭にピラミッドを創ったミン・ペイによるもので、古い要塞の上に創られた現代美術の牙城となっている。これは“ミュダム”と呼ばれている。

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ミン・ベイの建築による現代美術館のミュダム
 
 
  この地区にはほかにも多くの美術館や新しい建築物が多い。ヨーロッパの多くの国際機関があるのもこのカルチエである。そして多くのバスが滞る事も無い様子に繁く通っていて、この国でカードを買うとその日付けの分自由に何回でも使えるから便利至極だ。叉、リュクサンブール・カードを買えば殆どすべての美術館、展覧会が無料となるのも行列する手間もなくて、便利この上ない。
 
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ヨーロッパ広場の風景
 
 そして来年その20周年の記念祭をするという、ユネスコが20年前に、世界遺産として認定をしたものがある。それはかつて何度も敵に痛めつけられて来た、首都の真ん中にある古い要塞群である。1614年に作られた部分、その100年以上後にも作られた要塞群、その中には1834年の大砲も備えられている。如何に長い年月を敵の攻撃に対して守り続けなければならなかった事か。町の続きを歩いて、ふと下を見ると遥か下にもう一つの町があると云った感じがする。城があり教会があり、民家があり、水が流れていてまるで魔法の町に出合うような気がする。この周りをぐるっと歩いて回ることも出来る地下道も見事だ。要塞と云えば大体山の高い所やお城等を考えるが、ここでは反対に遥か下の町なのである。今ではここに大きなエレベーターを付けて、下でも車が走れる部分もあるし、夏の光のフェステイヴァル等いろいろ楽しい催しが企画されている。
 
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要塞の中の町
 
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かっての要塞の町を見る人々
 
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 要塞の街の夜景:ぐるっと回ることのできる道が崖の周りに掘られている
 
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洞窟の中、古い大砲もある
 
 

 侯爵家の結婚式には日本からも皇太子夫妻が参加したと聞いて嬉しい思いをしたのも最近の事だったが、ここからはお招きは無かったどころか町で誰の姿も見なかった。もし見えればこのような国の事だから、町の人と話を交わしたり、私たちのガイドさんがホラと云って教えてくれるのではないかと思ったが。この一人、ロベール・ド・リュクサンブールにはフランスでお招きを受けたことがある。それは彼がワインに年々力を入れて来て、彼のボルドーのシャトー・オーブリヨンに招かれたことがあるからだ。ボルドーの銘酒の中でも特別に素晴らしいここで、“ボルドーの白ワイン”と云うタイトルの催しがあった時の事だ。素晴らしい白を飲んで、ああ此れで、ここの赤もあったらなと云うのが私の感想だったが、とにかくこの公爵家のロベールと同じテーブルで飲んだのだった。しかし、リュクサンブールのワインも近年特に素晴らしくなっている。ここの人の私の友人アリ・ヂュールが熱心にやっているのを知っていたが、彼の事を先代の観光局長が・“リュクサンブールの英雄だ” と云っていたのを思い出す。今回も会いたかったが着いてから電話をしてみたら・ドイツの大学にワイン学を教えるために行っているとの事で会えずじまいだった。

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アリ・ヂュールのぶどう畑。
モーゼルのワインと近い。オークセロワなどのぶどう品種が多い。



 この国の観光局を代表するリス・ロランさんの付き添いで北上し、アルデンヌ地方に入る。ヴィクトル・ユーゴーが滞在していたと云う美しい町ヴィアンデンを通り、首都からおそらく40km程で最北の町“ル・クレルヴオー”迄行って1泊。それが、いかに素晴らしい宿泊施設があるかを見せるためだろう、最高ホテルのスーツに入れられた。スーツと云っても寝室とサロンだけではない。あまりに広くてまごまごしてしまったほどだ。お風呂にはいろいろな機械が組み込んであって、お湯にうねりを出したりいろいろ出来る。有効な使い方を知っていたら結構楽しい事だろうが、残念ながら私には上等すぎたようだ。全くデラックス好み向けだ。“ル・クレルヴォ”と云う五つ星のデラックスホテルだった。そしてその翌朝は目的の高台にそびえるクレヴォーのシャトーに行く。ここには“The Family of Man" と云うタイトルの世界一大きな常設写真展があり、此れを見に登った。リュクサンブール出身のアメリカ人の写真家、エドワード・シュタイフェンによるコレクションが1955年、ニューヨークの現代美術館のモマで展示され、それが2003年からユネスコの”世界の記憶“と題する503枚の写真展となって世界の160の美術館を回った後、ここに常設されることになったのだと云う。世界68カ国の273人の写真家が、愛・信仰・出生、仕事・家族・戦争・平和と云った37のモチーフについてとった写真の中から選んだものである。日本の写真家も参加しているし、アメリカ人に寄るものであろう広島の恐ろしい場面も、人生の哀歓すべてをここでみる、感動の写真展である。

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デラックスなホテルの一室
 
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シャトール・クレールヴォー
ここに“the Family of Man"という写真の常設展がある 
 

これで私のリュクセンブールがあなたにお伝えできたら嬉しい。

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写真展風景
 
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子供
 
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百姓の生活
 
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これは日本人撮影の百姓

 

 


 

 
 

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