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京都環境学 №10 [雑木林の四季]

宗教における自然

                                 妙法院門跡門主  菅原信海

 「自然」という語は、中国古代の『老子』において尊ばれる言葉である。つまり、儒教で教えとか倫理とかの「人為」によって人が育まれることに対して、その人為を排して、人の手の加わらない状態である「自然」を理想とする考えを尊ぶのである。『老子』に始まる道家の思想においては、人の手の加わらない自然こそ理想の状態であって、それを『老子』では、「無為自然」といい、それが道家の究極の論理である「道」なのである。つまり儒家に対して、道家と言われる所似である。
 自然現象に対する畏怖やその自然を崇拝することは、人が人間として誕生した太古からのことで、太陽、そして風雨や雷などの自然現象に対しての畏怖と尊敬が、天に対する信仰や太陽信仰を生み、人間の力を超えた絶対な力に対する信仰が生まれてくるのである。それが天体を信仰の対象とし、太陽や月そして星に対する信仰へと発展したのである。それと併行するように、自然物に対しての信仰が生まれ、大地・巨石など人力の及ばないものに対する信仰がそれである。大地は、ものを生成するということから、地母神信仰を生み、神話にはこの地母神信仰が反映されているものが多い。巨石は、神の憑代(よりしろ)として、信仰の対象となっていたことはいうまでもない。
 自然現象に対する畏怖の念から、それを信仰の対象とするのが、いわゆるアニミズムであって、世界的な現象である。つまり、台風や大暴風雨に対する恐れ、雷に対する恐怖、洪水・津波などの自然現象に対する恐怖が、やがては自然に対する畏怖となり、自然に対する信仰へと繋がっていくのである。
 日本では、杜(もり)は神の宿るところであって、そこに神社が生まれるのである。その杜には、神の憑代としての磐境(いわざかい)があったり、巨岩が存したり、神木があったりして、神の降臨を仰ぐことができる神聖な場所があるのである。京都の都を囲む山々に、雷(いかづち)にまつわる神社が点在している。つまり、北に上賀茂神社があって、ここの祭神は賀茂別雷神(かものわけいかづちのかみ)であって、祀られているのは雷神(らいじん)である。その母神と外祖父を祀ったのが下鴨神社であり、賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ)といわれている。そして、都の西には、松尾大社が鎮まっているが、この神は『本朝月令』によると、下鴨の神の父といわれている。そうすると、上賀茂の神の祖父に当たることになり、都を囲む西から北にかけて、雷神信仰の神を祀っていることになる。しかも、その東の比叡山山麓には、山王の神々が祀られているが、地主神(ところがみ)である二宮は大山咋神(おおやまくいのかみ)といい、この神は松尾神と同神とされていて、元を正せばやはり雷神なのである。京都の都を取り囲む周辺の山々は、雷の発生する山々であって、その雷を祀った神社が、都の周辺に祀られているといえよう。
 日本の場合、自然は心を持つ生き物としてみ、人と同じ対象と考える傾向があった。決して自然に逆らわない。むしろ自然と共に生きているとの考えである。自然と対決しようとする欧米人の在り方とは、区別されていたのである。自然を心を持つ人のようにみているよき例は、『万葉集』の歌のなかに、発見できる。その例を一、二示してみよう。『万葉集』巻一に額田王の作とされる、

 三輪山をしかも隠すか雲だにも 情あらなん隠そうべしや
 
 同巻九の春日蔵の作、

 照る月を雲な隠しそ 島かげに わが船泊てむ泊知らずも
  

  この二つの歌に出てくる雲は、あたかも人の心の動きとも取れるし、人の心の反映とも考えられるのであって、自然現象としての雲ではなくて、人の心の動きを感じさせるものである。だから、雲に対して人に対するような呼びかけともとれる詠われ方がなされているのである。はじめの歌は、天智天皇が、飛鳥の都を離れて、近江の都に遷るとき、天皇を守ってきた神の山である三輪山に別れを惜しむのに、何で雲がその山を隠してしまうのか、という意なのである。次の歌は、月明かりを利用して、自分の船を島かげに泊めようとしているのに、なぜその月を雲が隠してしまうのか、と雲を意地悪をする人の動きのように捉えていることである。日本の古代の人は、このように自然を人のように、また人の意思で動くもののように捉えていたことに気づく。

 仏教では、自然をどのように見ていたのであろうか。天台教学では、自然に存在するもの総てに、仏性(ぶっしょう)があると考えている。大乗の『涅槃経』に「一切衆生、悉有仏性」とあり、すべての人には、誰でもが仏性つまり仏になる素質をもっているという。この考えを、天台教学では更に拡大して、「草木国土、悉皆成仏」といい、自然に生あるものすべてが仏性を備えているとみて、生あるものそれは山も川も、そしてすべての草木に至るまで、仏になる素質をもっていると教えるのである。いうなれば、この世に存在する総てのものには、仏となる素質があることになる。この考えをもとにして、その理念を実践しているのが、回峯行(かいほうぎょう)である。回峯行は、「但行礼拝」という、ただひたすら拝みまくるという行であって、それは自然に存する総てのものには仏性があるから、山にあるすべての草木や岩石に仏をみ、山々を駈け廻りながら、草木や岩石に宿る仏を拝み回るという荒行になったのである。
 東洋には、このような日本で生まれた回峯行があったり、同じく山々に分け入って修行する修験道があった。修験道は、いわゆる山伏であって、山に入って自然と一体になって、修行することを目的とする。修験の教学には、仏教と中国土着の宗教である道教とが結びつき、さらに日本の神道が加わって、独自の教えを持った宗教に発展を遂げている。この修験も、自然を相手に、自然そのものの存在と同化して、自然の中での修行を大切にしている。

 自然における聖地感覚というものがある。鎌田東二氏の『聖地感覚』の中で、宮沢賢治の詩「小岩井農場」を引いて、聖地は自然に繋がる宗教的場所であることを論じている。宮沢の詩「小岩井農場」は、次のような詩である。

  さうです、農場のこのへんは
  まったく不思議におもほれます
  どうしてかわたくしにはここらを
  der heilige Punktと
  呼びたいやうな気がします
  この冬だつて耕転部まで用事で来て
  こゝいらの旬のいゝふぶきのなかで
  なにとはなしに聖いこころもちがして
  凍えそうになりながらいついつまでもいつまでも
  いったり来たりしてゐました

 この詩の「聖いこころもち」を引き起こす場所的感覚や土地に根ざした直観的想像力、それが「聖地感覚」なのである。宮沢がいうder heilige Punkt(the holy point)は、一般的には「聖地」とよばれる。この「聖地」は、神仏や精霊あるいは超自然的存在などの聖なる諸存在などが示現したり、またはそれらの聖なる諸存在を顕彰したり、記念したりしたある特異な場所を総称していう。鎌田氏は、このような聖地感覚を通して、聖地は聖なる場所であり、しかも宗教的な場所でもある、そして、そこは聖なる清らかな自然が繋がる場所である、といっている。

『京都環境学』藤原書店


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