日めくり汀女俳句 №41 [ことだま五七五]
九月四日~六日
句 中村汀女・文 中村一枝
九月四日
明日たのむ心に秋の行方かな
『薔薇粧ふ』 秋=秋
昭和一一十五(一九五〇)年汀女は五十歳。自分はずいぶん年をとったと言っているが、今の感覚で五十歳は若い。「風花」の刊行も順調、句会も人が増え、あちこち講演にも引っ張り出される。そういう目立つことが特に好きな人だったとは思わないが、にぎやかで華やかなこともまた好きな人である。
「風花」のいわれについて、風花とは晴天に風が吹いて小雪の舞うことを言うが、汀女は、風も花も、その日その日に新しい、そういう心だと言い、今日の風、今日の花という心境だと述べている。
九月五日
秋桜会ふ人とのみ思ひ来て
『春暁』 秋桜=秋
「お嬢さんに好きな人がいるのか」。
そういう問い合わせをしてきたのは、四十年前、「週刊朝日」の新延修三氏だった。聞かれた両親は困ったらしい。その頃私は、まさに好きな人がいてのぼせていた。でも相手が振り向いてくれない。毎日悶々としていた。彼は父の担当の出版社の人、父は意を決して「娘を貰わないか」と言ってくれた。言われた方は当惑したらしい。はかばかしい返事のないまま、半年以上過ぎた。
中村汀女の長男だという男の写真が新延氏から届いたのは、それから四カ月後のことだった。
九月六日
逢ふはよし純白つつむ酔芙蓉 『薔薇粧ふ』 酔芙蓉=秋
中村汀女という名がマスコミに現れはじめたのは昭和三十年前後のことではなかったろうか。中村汀女と聞いた時、私はどこかで聞いた名だがひょっとしてもう死んだ人ではないかと思った。縁談を聞いて、誰が見合いなんかと口を尖らせた。そのくせ送られてきた写真(これがまたイイ男だった)を見たくて、写真の置いてある奥の部屋に何度も行った。 私にはもともと面喰いの傾向がある。それがすべての間違いの元。父の行きつけのレストラン新橋小川軒ではじめて夫と会った。
昭和三十年十一月の終わり頃である。
『日めくり汀女俳句』邑書林
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