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パリ・くらしと彩りの手帖 №34 [雑木林の四季]

ボルドーから                       
(1)「ブドウの花のデイナー」、シャトー・ラグランジュで

                           在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

  ボルドーと云う町をご存知? おそらく、多くの人にとってボルドーはワインの名産地としてよく聞く名前だろう。ボルドー市そのものの人口はわずか24万人でフランスの9番目の都市となる。ただその周りに広がる裾野が広くて、それを入れると全体の人口は100万を越え、パリのように中心部の都市とその周りに広がる形になっているのだ。叉、最近、フランス人5000人にフランスの好きな町のアンケートをした所、パリが1位、ボルドーが2位となった。それは説明できる事だ。なぜなら、何と言ってもこの町の周りに素晴らしいブドウ畑があり、それらを管理する美しいシャトーが12000もあり、何よりもそこで作られるワインによって繁栄しているところなのだから。ここには土地があるからブドウ畑の面積も広く、しかもボルドーの人々は19世紀半ばには既に、それらのシャトーで作られるワインの格付けをして、ワインを求める人達にとって買い易い様にしていたほど心からの商売人でもある。フランスのワインを買う外国人にとってはその格付けによって、値段もはっきりしていたから一層買い易かったのである。それに比べて、たとえばブルゴーニュのワインは味の上では勝るとも劣らぬと云う間柄ではあるが、何と言っても土地が少ないから、その生産量もぐっと少ないし、それぞれのブドウ畑にシャトーがあるわけではなくて、どちらかと云えば普通の家屋だから地味だ。この所、中国でも ワインへの関心が高まって、ボルドーのシャトーを次々に買っている上、つい数週間前にも中国の大金持ちが一度に五つか六つのシャトーを買いに来たと云うニュースがあったばかりだ。今頃は既に40位迄行っているのではないだろうか。こんな事ををワイン組合お歴々と話して、心配でないのかと訊いててみたら、いや全然心配していないとの事で、やせ我慢かとも思ったのだったが、その理由は、彼らが買うシャトーはワインで有名な所ではなく、シャトーを選ぶのに、そのワインを味ききして決める訳でもなく、またそのブドウ畑の土を研究所で分析してもらう訳でもなく、ロマンチックな建物のシャトーである事と、もう一つ、大切な事はそのシャトーの名前の中に、有名なワインの名前と同じ部分がある事だと云う。説明を聞いたら、有名なワインのある村や町の中にあるシャトーで、その名に土地の名前として有名ワインと同じ部分があるところが一番好まれるのだと云う。しかもこれらの中国人はお金があるから、傷んでいるシャトーなどすぐ修理してしまうから、むしろありがたいことなのだと。私はこういう見方をしているのを知って驚いたのだった。さて、このボルドーの町で2年に一度催している巨大なワインフェアーがあって、今年も6月に5日間、33年目の第17回ヴィネクスポ(Vinexpo)を催した所だ。今年の入場者数はヨーロッパの経済問題の凄まじさにも拘らず48858人、その38%は他の大陸、148の国々から来ている。残る62%がフランス人入場者と云う訳だ。アジアから来た人々は特に中国人だけでも3880人、日本からは427人だそうだ。アメリカが1433人、同じヨーロッパの英国が1418人と統計が発表されている。そしてここに、ブースを買って自分のワインを展示しているのは世界44カ国から来た人々でそれぞれの国の、ワインを誇らしげに並べているのだ。    大体フランスはワインの生産国として世界一、世界の22%を産出している。それに続くのはイタリア、次がスペインだが、輸出国としては3番目だ。と云うのはフランスのワインは何と言ってもフランス人が飲んでいるからなのだ。フランスのワインは世界一と考えている人が多いが、それだけに、世界からフランスに向けて発信しようと云う外国人にとってはあまり関心を示してくれない手強い人々なのである。

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ヴィネクスポの会場風景
 
 この催し、6日間のヴィネクスポの最初と最後にはデイナーがあって、その初日には世界中から集るワインジャーナリストのためのデイナー、そして最終日には、もっとずっと大きなデイナーで、毎回、由緒ある名高いシャトーがひとつ選ばれて、ここで1500人のデイナーが締めくくられるのだ。ワインを作る人々が、10人のテーブルの権利を買って、いつも世話になっている業者などをそこに招き、美味しい食事とそして勿論素晴らしいワインで楽しい一夜をすごすのである。男性はスモーキング、女性はイヴニング、少なくともカクテルドレスと云う事になっているが最近はどこでも何でも略してしまう様になって残念だ。私が初めてこのソワレに招かれたのが、1991年、今から22年前のことだ。あの頃はどちらを向いてもロングドレスの人々で、そうでないと肩身が狭かったものだ。しかし今では着過ぎてしまうと逆に居心地がよくないが、このようなソワレでは思い切りおめかしして、お互いに楽しむ事の出来るような遊び心をいつまでも持っていたいものである。
 
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 シャトー・ラグランジュ
 

 日本はワインに関心を持つ様になってもうかなりな年月が経っているのだが、この辺りにシャトーを持っているのはほんの数件、サントリー社が 既に沢山のシャトーを持っているカステルとともに50%づつ所有しているサンジュリアンのシャトオ・ベッシュベル、そしてメルシャン社が持っているシャトー・レイッソン、そしてサントリー社が30年前に買った此れもサン・ジュリアンにあるシャトー・ラグランジュだけだと思う。以前はシャトー・シトランも日本人の所有だったが今は違う。

 

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ジュール•ブルトンの描いたラグランジュのぶどう摘み
 

画家のジュール・ブルトンの描いた、このシャトーのブドウ摘みの絵などは懐かしい時代を彷彿させるものである。1855年のボルドーワインの等級分類ではボルドーの最高のワインの5つの等級の中で、丁度真ん中の3級となっているから、今から2世紀も前からボルドーワインの中でもトップの一つと考えられていたと云う事だ。前の持ち主の時代にはかなり荒廃してしまったこのシャトーがこの日本のサントリー社のものになって30年、立派になって、今回のデイナーの舞台となったということで、これはボルドーの同業者達の眼にもその復帰、そしてその重みが評価された事を意味するのであろう。この、2年に1回の”ブドウの花のデイナー”を迎えると云う事は、 自分たちの負う費用も大きいと聞くが、ボルドーのワインの大物として、名誉であると共に大変な責任であり、この大行事のために場所を貸すと云う一面もある代わり、そのワインも大きな重みを増していると云う事である。

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ラグランジュのワイン
 

 さて、いよいよヴィネクスポの最終日がやって来た。ここはフランスだから、いつまでも沢山の人が集って来る特別なブースは別として、多くは朝から片付け始めているのが普通だ。午後になって人が残っているブースは珍しいほどだ。
 夜のデイナーに行く人は早く帰って支度がある。毎回、このデイナーに先立って、かなり時間のかかる儀式がある。これは、メドックとグラーヴ、ソーテルヌとバルサックの4つの地区からなる騎士団による新しい名誉会員になる認証式と云う訳で、会員達が皆あの分厚いガウンを着けて、一人づつ名前を呼び、その人について如何にワインについて貢献してきたかという賞賛の言葉をのべ、ガウンを肩に掛けてあげると、その人は沢山の人が見守る前で、ワインを飲み干し、宣誓をする。こうして新しい騎士団の名誉会員が一晩に50人も生まれて行くのである。

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小松大使の承認式
 

 今年も”ブドウの花のデイナー”で生まれた新名誉会員は47人、その中には日本の小松大使を始め、モレシャンさんの姿もあった。このデイナーの特別招待のフランスの女優のキャロル・ブーケも大きなガウンを付けて、名誉ある会員になることを誓った。長く続いたこの認証式が終わり、建物の中に入るとアペリチフにワインやカクテルが出る。ここで息をついでからボルドーにも珍しいほどに大きいこのシャトー・ラグランジュの酒蔵に入る。

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ラグランジュの酒蔵、此れを全部出してのデイナーだったのだ
 
 

 うっすらと青い光がみなぎっている広い酒蔵は二筋に別れていて、その長さもどのくらいあるのだろか。100メートルくらいあるのではないか。日本の障子のようなものがしきりになって並んでいて、控えめにここにも日本がある。この酒蔵に大体1500人が入るのだから10人のテーブルが150と云うことになるが、中央にだけ長いテーブルが置かれ、その貴賓席にボルドーの市長さんであるアラン・ジュペが座り、その右側は日本の小松大使夫人、左側は女優のキャロル・ブーケだ。ジュペは首相迄やっている政治家だが、市長としての人気は厚く、政治的にフランスを去った数年間、カナダの大学で教鞭をとっていたのだが、政権が変わってフランスに帰ってくることになったら、ボルドーの町の関係者達は一斉に辞職して彼の帰還を願ったのだった。実際にこの町でタクシーに乗って、運転手さんとジュペの話が出たら、”私は左の人間だけれど、市長としてのジュペは素晴らしい”と激賛していた。彼によってボルドーの町はかつての輝きを取り返し、市民のためのいろいろなものが出来て、全く全員が満足しているようで、何でも文句ばかり云うフランス人にしては想像もできない事だったのだが。 

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小松大使夫人、ジュペ市長、 この日の特別招待客の女優のキャロル・ブーケ
(左から)

 

 さて、このデイナーを待つ1500人テーブルの上のグラスの数は多くて、何種類のワインを飲むことになるのか、ラグランジュはもちろん、ラフィット・ロッチルドなどわかっているだけでも楽しみな事だ。

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この日の料理のシェフ,フレデリック・シモナン (マイクを持っている人)
 

 その食事を担当したシェフが日本の味を知っていると云われるフレデリック・シモナン、その海老と大根のアントレの演出はまるで水彩画の様に見事だった。このシェフの設計した料理を実際に1500人のテーブルに並べることができたのは、もうこれで7年間、4回もこのヴィネクスポの仕事をやっているというボルドーの仕出し屋さんあってこそと云う。長い長いデイナーが終わって酒蔵を後にすると、もう花火が打ち上げられ始めた。その1区切りごとにオペラ座の歌い手がオペラの親しみのある曲ばかりを歌う。こうして、心地よく疲れを感じた人々は、夜が明ける前に帰途についた。この日のシャトー・ラグランジュについて、同席していた人々が”さすが日本だね、すべてが、予定どおりに進行して見事だったね”と云っているのを耳にして嬉しかった。美しいお城で見事なソワレ。この日の成功は、ボルドーのブドウ作りの人々に、完全な仲間入りをした証のように思われた。サントリー社のどこか控えめな体質が理解されたと云う事だろうか。商売の熾烈な面は別にして。


 

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