SSブログ

ペダルを踏んで風になる №36 [雑木林の四季]

30年選手

       サイクリスト・バイクショップ「マングローブ・バイクス」店主  高橋慎治 

先日、懐かしい名前の自転車が修理に持ち込まれました。
私の自転車生活の原点でもあり、日本の自転車史にも深く刻まれている自転車です。
その名も【ROADMAN】。

pedaru36-1.JPG

ブリヂストンサイクルから発売されたこの自転車は、当時主流だった「フラッシャー」や「スーパーカーライト」など自動車的要素の装備を売りにしていたジュニアスポーツ車に本格的なスポーツ色の要素を取り入れた自転車でした。
私が最小に乗った自転車は、パトカーのようなサイレンとブザーの付いた「仮面ライダー号」でした。
それまでは、三輪車を乗り、脚こぎ自動車へと、思い返せば乗り物三昧でしたね。
たしか、5歳の誕生日祝いに「仮面ライダー号」をもらって近所を乗り回しました。
当然、乗り始めは補助輪つきでしたが、就学する頃にはきちんと2輪で乗れていました。
小学2年生くらいになると、さすがに16インチの「仮面ライダー号」では自転車が小さくなりましたので、そこで初めて父親と近所にあった自転車屋さんに自転車を見に行きました。
私の記憶にあるのは、当時は今のような「ママチャリ」と呼ばれる軽快車は店頭にはなく、子供用自転車と呼ばれる自転車は運搬用の実用車から大きな荷台を外して赤や青に車体を塗ったもので、20吋、22吋、24吋の車輪に合わせてスケールダウンしたものでした。
私は自分の体に合う「22吋の青」を買ってもらったように覚えています。

「仮面ライダー号」との違いは、大きくなった車体と車輪です。
当然、安定性は向上しスピードも上がりました。
結果的に行動半径も広がり、通ったこともなかった坂道もたくさん出くわします。
ここで、自転車の構造自体が大きく違うブレーキに不満が出始めます。
今の自転車のブレーキはブレーキレバーからブレーキワイヤーでブレーキ本体とつながっていて、スピード調整や停止の制動操作をします。
皆さんは一昔前の新聞屋さんの自転車や市場の配達用自転車などを見たことがありますか?
当然、重い荷物を運ぶ自転車ですから「止まる為」のブレーキとしてワイヤー切れや伸びの心配のあるワイヤーブレーキではなく、ブレーキレバーからブレーキ本体まで金属の棒でつながっている「ロッドブレーキ」という仕様になっています。
そうなんです。私の新しい「22吋の青」は当時の主流だった「ロッドブレーキ」だったのです。

このロッドブレーキはワイヤーブレーキに比べると可動部の支点やテコになる金具がロッドにつながっているなど構造的に部品点数も多く複雑で、調整も可動ロッドの伸ばし縮みで行うため経験によると勘みたいなものが必要に思いました。
ブレーキの動き自体も「ギコギコ」した感じがあり、支点の注脂やロッドの捻れ、テコの向きなどブレーキレバーから追っかけて調整しました。
でも、このロッドブレーキはブレーキを解放するためのバネがブレーキ本体にあるのではなく構造上ハンドルバーにブレーキレバーと一体で作り付けられています。
ですから、バネに注油はしないといけないのですがハンドルバーなので手が触れると油で汚れるし・・・
その当時は、自転車はもちろん外置きでしたから鉄製のハンドル周りは錆びてしまい、結局、自分の「22吋の青」には乗らなくなり、その後に親用に購入した「ママチャリ」を乗り回すことで自転車に興味が薄れていったのです。


そんな私も小学校を卒業し、中学生になりました。
今までの小学校は自宅から徒歩5~6分ほどでしたが、中学校は20分ほどの通学になりました。
通学路ですから毎日同じ通り道になります。
ある通学の朝です。
私の歩いている後ろから「シャァァァーーッ」っと、颯爽と走り去る「キラキラと青く輝くドロップハンドルの自転車」に乗ったサイクリストに遭遇しました。
何日か同じ状況に遭遇し、天気の良い朝は高い確率で「キラキラと青く輝くドロップハンドルの自転車」を眺めることができました。
その格好良さといったら、私が以前乗っていた「22吋の青」とは雲泥の差でした。
中学生になり環境が変わり仲間が増えて「自分らしさ」とか「個性」とかというものを意識する年頃に「キラキラと青く輝くドロップハンドルの自転車」は相当なインパクトでした。
今のようにインターネットもない時代でしたから、自転車は新聞の折り込みに入ってくるスーパーや自転車専門店のチラシが最初の情報でした。

そんなチラシを集めて眺めていると同じ様に見える自転車の価格に大きな差があることに気が付きました。
もちろん、自分のお年玉などの手持ち金も流用しつつ親に稟議を申請しなければなりませんから、形が同じなら安価に越したことはありません。
無事に親を説得し、チラシのお目当ての自転車を見に車でス-パーへ行きました。
お目当ての自転車はあったのですが、残念ながら希望の色がありませんでした。
スーパーの自転車売り場は週末でしたので賑わっていましたが、ドロップハンドルの自転車は関心がまだ低いようでした。
後ろ髪をひかれる思いで売り場を後にして向かったのは近所の自転車専門店でした。
手持ちのチラシの中では高嶺の花だった自転車が飾ってあります。
父親は自転車屋さんの店主と何やら話をしていましたが、そんなことはお構いなしに自転車を眺めていたのを思い出します。
自宅に帰ると父親から先程の自転車専門店でもらってきたであろうカタログを渡されました。
「両方の自転車を見たけれど、修理などもあることだし近くの専門店で買いなさい。」とのことでした。
そうして中学生の私は憧れていた【ROADMAN】を手にしました。

pedaru36-2.jpg

カタログを眺めると一般車にはない華やかなカラーリングと豊富なアクセサリーがあふれています。
フレームカラーはライムグリ-ンで、バーテープはブラウン。
当時はスポーツ自転車といえばツーリング車でしたから、フロントバックを乗せられるブロックダイナモ対応のフロントキャリアとリアパニアバックを取り付けられるようにリアキャリアをオプションで選びました。
まさに自分にとってのスーパーカーです。
日常にと、サイクリングにと活躍していったのです。

pedaru36-3.jpg

先日の修理に来た【ROADMAN】は、修理作業を終えながらも私の原点を思い出させてくれました。
その修理は簡単ではない内容でしたが、当時の自分では到底できないことの作業をしている今の自分をとても不思議に感じました。
もちろん、修理に来た【ROADMAN】にもお客様自身の沢山のドラマが詰まっているのでしょうね。

pedaru36-4.JPG
pedaru36-5.JPG
pedaru36-7.JPG

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0