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私の中の一期一会 №41 [雑木林の四季]

“角界のロボコップ”・相撲界随一の人気者、高見盛が爆笑につつまれながら引退会見
              ~誰からも愛されるユニークな力士を生んだ純粋のキャラクター~

                                           アナウンサー&キャスター  藤田和宏

 大相撲の元小結で東十両12枚目の高見盛(東関部屋)が初場所千秋楽後の27日、都内のホテルで現役引退を表明し14年に亘る土俵生活に別れを告げた。幕内優勝経験もなく小結が最高位の力士では異例の100人近い報道陣に囲まれた高見盛は「右肩を痛め、両足も痛めている。身体がボロボロになった。これ以上相撲を取っても更に身体を傷つけることになる。それらを考えて決断しました」と引退理由を語った。36歳の高見盛にとって今年の初場所は、負け越せば幕下陥落が待っているピンチ場所であった。多くの人に愛された角界一の人気者が、自分なりに考えていた「力士でいられるボーダーライン」を下回っては現役を退くしかないと、迷いのない決断だったことが分かる。「少しホッとしたのと、少し先行きが不安なのが半々」との心情も吐露したが、惜しまれるというより「ここまでよく頑張ったよ、ご苦労さん」という労いの声が多い引き際であったと私は思う。今後は年寄り・振分(ふりわけ)として後進の指導に当たるというから期待したい。
約30分の会見後半、先代の東関親方(元関脇高見山)から「早く嫁さんを貰ってよ」と突っ込みが入ると会場の雰囲気は一転した。
「それは、なるようにしかならないと思いますが・・(カメラのフラッシュ)そこで反応しないでください!すごいな反応・・」と困った顔になった。「嫁さんは青森県のほうがいいよ、都会はダメよ、田舎がいい」と先代に追い打ちを掛けられると「そういうシバリをするとややこしくなるので・・」とさらに困惑顔になり、会見場はもう爆笑の連続になった。湿っぽい涙もなく笑いに溢れた引退会見なんて高見盛らしくていいなあと思った。
 高見盛の引退を伝えるスポーツ紙やネット情報を読んでみると、数あるエピソードがみんな面白いのには驚いてしまった。天真爛漫な性格から、土俵以外でも数々の逸話を残している。思わず「ホントかよ」と言いたくなる話も多いのだ。
 高見盛といえば、何と言っても取り組み前の独特の仕草が思い浮かぶ。拳で顔や胸を叩き、何やら雄叫び(?)らしき声を発しながら腕を数回上げ下げさせる。そして意を決したように、悲壮感さえ漂わせて最後の仕切りに向かう。舘内から「タカミサカリ~ッ!」と黄色い声援も飛ぶのがお決まりのシーンであった。
この仕草は、幕内に返り入幕した02年春場所の2日目にいきなり顔を叩いたのが始まりだそうだが、あの一連の動作を初めて目にした時は「何じゃこりゃ?」と呆気にとられ「変な相撲取りだな」と印象に残った。後に「ロボコップ」という愛称がつくこのパフォーマンスは、00年秋場所の若の里戦で右膝靭帯断裂という大怪我をしたことがキッカケになった。稽古では踏ん張れない。幕内に戻ってからも三段目に負けたりした。当時の魁皇や朝青竜に「力を抜くな、怪我するぞ」と平手打ちされたり、竹刀で叩かれたりして怪我の怖さを身に沁みて知ったというのだ。あの仕草について高見盛は「自分自身に気合いを入れただけです。土俵で怪我をする恐怖心を振り払いたいだけでした」と語るように見世物にするつもりなど全くなかったのだ。「ああすることで自分にスイッチが入るから」やっただけなのだ。本人は大真面目だが、何だか不器用に見えるし、相手を怖がっているようにも見える。ちっとも強く見えないから観客は可笑しくなって笑ってしまう。パフォーマンスを喜ぶようにもなった。やがて「歓声を上げるファンの姿を見て嬉しかった」と気付く頃には、すっかり人気者になっていたのだ。
「ロボコップ」の名付け親が同じ部屋の元横綱・曙だということを今回初めて知った。
 高見盛が相撲を始めたのは、青森県の板柳北小学校4年の時だった。
当時の担任教諭、高橋宏彰さん(52)の話が新聞に載っている。「人一倍大きいのに、小さい子にからかわれ、いじめられては泣いていた。少しでも強くなれば自信になるだろう」と野球部に誘ったら「毎日走るのは嫌だ」と断られた。そこで「相撲部に入るなら給食は大盛りだ、残りがあればいくらお代わりしてもいい」と釣ってみたら「相撲部なら・・」と乗ってきたというから可愛いではないか。
お代わりしたくて相撲を始めた高見盛(本名・加藤精彦)は、次第に「才能」を発揮する。板柳中3年で中学横綱,弘前実業高2年でインターハイ団体優勝、日大4年時に全日本相撲選手権に優勝してアマ横綱になっている、立派なものだ。大相撲の世界に入ったのは99年で、幕下付け出しで初土俵を踏んだ。
高橋先生は「もともと格闘家とは正反対の性格。もがき苦しみながら戦う恐怖と一生懸命戦ってきた。負けると肩を落としうつむいて花道を引き揚げる姿は小さい頃のまんまです」と懐かしく語っている。
 人気上昇と共に高見盛の取り組みに懸賞金が殺到するようになって大関の取り組みを超えることも度々になった。前日に取り組みが決まった対戦相手が「よ~し、いただき」とボルテージを上げるのに対して、高見盛は、明日の取り組みに集中出来なくなるからと「対戦相手が誰か、絶対に知ろうとしなかった」という。この話は有名だから知っている人は多いだろうと思うが、立派な関取の行動とは思えない。とにかく付け人には口止めをするし、記者が「明日の相手は・・」と聞こうものなら「ワ-ッ」と叫んで聞こうせず、ちり紙を耳に詰め込んで「耳栓」にするという。ワザとトイレに行ったりもするそうだ。これだから「高見盛は変な力士だ」と思われるのだ。以下はエピソードの数々である。
◎ 集中すると周りが見えなくなって「場所入りするとき協会の幹部と会っても気付かない。だから前を歩く僕らが先に挨拶する。すると関取も気付いて頭を下げてくれる」なんていう証言もある。
◎「僕ら付け人たちと食事に行くと、自分が食べ終わったら“もう帰る”と言って店を出てしまう。夜中に帰ってきて僕が寝ているのに、音楽をかけたりテレビをつけてゲラゲラ笑っています」と周囲の迷惑に気付かないマイペースぶりに困る者も出る。
◎ 自転車好きで、場所入り以外は自転車が主要交通手段になる。秋葉原や御徒町へよく乗って行く。年間一万キロぐらい乗っているだろう。
◎ ステーキを食べて勝つと、勝っている間は連続、同じ店で頑固にステーキを食べ続ける。
◎ タクシーで場所入りするときも、勝っている間は同じ道を行く。遠回りになっても同じ道順に拘る。
◎ 場所中は、お腹が冷えるからと刺身を食べない、でもたたきは食べる。毎日食べている納豆も場所中は食べない。何故か分からないが妙に拘る。
◎ 母寿子さんによれば「子供の頃、練習で10回相撲をとれば10回負けるのに、大会に行けば勝ってくる。練習だから手を抜くような器用な子じゃないのに、不思議でした」と本番に強いところがあったという話も面白い。
◎ 日大で同期だった元大関・琴光喜の田宮啓司さんは「大学で中国語の授業で教授に当てられると、彼は分かってないのに何かしら言うんですよ。隣で恥ずかしかった。でも彼は授業に出続けて単位を取った」というのもここ一番に強かった証かも知れない。
◎ 03年名古屋場所で8日目に「朝青竜と対戦、張り手を食らっても自分の相撲で勝てた」と金星の思い出を語ったが、この時の懸賞金3本を3人の付け人に夫々手渡して気前の良いところも見せた。
◎ 酔っぱらって自動販売機と相撲を取っていたとか、鯛釣りに行ってウツボを釣り上げ「さすが関取!初めて見ました」とベテラン船長をズッコケさせた。etc,etc.
このように土俵の内外で活躍(?)した個性派力士・高見盛のエピソード全てが大真面目で純粋だからいいのである。受けを狙う器用さなど皆無だ。憎めないキャラクターは高見盛が持って生まれた最高の宝物であり、飾らない明るい人柄が誰からも愛されたのだと思う。下手な芸人より面白い不世出の人気者であった。
現役最後の一番は、いつもの所作に足踏みまで入れた高見盛をファンは大きな拍手で励ましたと新聞記事は伝えている。そして若荒雄を肩透かしで破り最後の勝ち名乗りを受けた。万雷の拍手をあびながら高見盛は万感の思いであったろう。
通算83場所、出場1125回、563勝564敗46休、金星2(武蔵丸、朝青竜)十両優勝1回、殊勲賞1、敢闘賞2、技能賞2というのが全成績である。
人気低迷の土俵を盛り上げた功労者は満面の笑顔を振りまいて現役を引退した。断髪式は未定らしいが、また大勢の報道陣が詰めかけるに違いない。高見盛には「ありがとう」の一言を贈りたい。


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笠井康宏

藤田さん、こんばんは。高見盛の引退は残念です。相撲の楽しみが一つ無くなってしまいました。私は高見盛が輪島功一さんにダブって見えました。両者共、なりふり構わず一生懸命やるのですが、当人達の意に反して?周りを大爆笑させるところが人気の秘訣ですね。本当にお疲れ様ですね。各界を盛り上げた高見盛に藤田さん、あっぱれをあげてください。
by 笠井康宏 (2013-01-31 21:11) 

笠井康宏

藤田さん、こんにちは。高見盛といえば永谷園のCMのイメージキャラクターだったのですが、高見盛戦の懸賞金が多かったので他の力士のやっかみ、対戦相手が死に物狂いで来たとのことです。勝った時の仕草、負けた時の落胆ぶりに「絵になる男」だなぁと思いました。愛すべき男ですね。[ウッシッシ]
by 笠井康宏 (2013-02-12 15:57) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。高見盛の振分親方が船橋市の幼稚園で園児と餅つきをして触れ合ったとニュースで放送していました。何時ものパフォーマンスを披露して保母さんからバレンタインチョコを貰ってデレデレになっていました。[ウッシッシ] 「お嫁さんに保母さんは?」の質問に「急に言われてテンパっちゃう」と如何にも高見盛らしいですね。[ウッシッシ]園児達は良い思い出になったと思います。
by 笠井康宏 (2013-02-17 00:10) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。今日のサンデーモーニングで高見盛がゲストで出演しました。[ウッシッシ]始めは緊張で顔が引き攣って、あのパフォーマンスを今にもやりそうな雰囲気でしたが、次第に慣れ「喝」「あっぱれ」を入れていました。[ウッシッシ]雅山の引退には歳も近いことから、とても残念そう(今にも泣き出しそう)でした。角界を引退しても「ロボコップ」は健在ですね。[ウッシッシ]
by 笠井康宏 (2013-03-31 17:36) 

笠井康宏

藤田さん、おはようございます。6日の高見盛の断髪式に約380人が参加しましたね。「ソフトモヒカンでモテ男に変身して婚活だ」とスポーツ紙に書いてありました。最後の稽古で「ロボコップ」も披露してくれました。私はもう見れないと思っていましたから…。振分親方になって「ロボコップ二世?」を誕生させたら面白いですね。[ウッシッシ]
by 笠井康宏 (2013-10-20 03:51) 

笠井康宏

藤田さん、こんばんは。先日、高見盛の断髪式が終わりましたが、高見盛を検索すると「アスペルガー障害」と出ていました。マイペースで協調性が無く「変な動き」がそれに該当するそうです。私はそういう「障害」とは知りませんでした。後輩からもからかわれて泣いていたそうで、「ロボコップ」というあだ名が果たして良いものかともインターネットに書いてありました。藤田さんは「障害者」「痴呆」の方への接し方テクニックの本をお書きになっています。私の兄は養護学校の教員ですので非常に大変だと聞いています。21年前、仕事中に散歩中の養護学校の集団に投石された私にはとても務まりません。言葉が通用しないのですから…
by 笠井康宏 (2013-10-22 17:43) 

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